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2013年03月28日

島産野菜のマクロビ弁当

島の野菜がたっぷりのマクロビ弁当。

加計呂麻島の押角(おしかく)にある
天然酵母パンとマクロビオティックのおやつのお店「 tsumugi 」 (つむぎ)さんのものです。

こちらは、第6回島案内人育成講座で
加計呂麻島の芝集落を散策する前に、お昼ごはんとしていただきました。




内容は、

・ 無農薬玄米(熊本県産)&大根の糠漬け
・ もちきび(雑穀)とアオサのクリームコロッケ
・ アマランサス(雑穀)のポテトサラダ
・ キャベツとワカメのキヌア(雑穀)マリネ
・ ひよこ豆のひじきペースト和え
・ かぼちゃの胡麻味噌和え
・ 大根と海苔のナムル


なんと野菜は、
すべて加計呂麻島産、または奄美大島産のもの。

カボチャのみ減農薬で、あとはすべて無農薬野菜。


島産の野菜で、
こんな女性がウキウキするようなメニューが作れちゃうんですね。


マクロビ=マクロビオティックとは、定義はいろいろあるようですが
穀物、野菜、海藻、豆類を中心にとる日本の昔ながらの食事をベースとしたもの。

こちらのお弁当は、
卵、牛乳、砂糖、動物製品、添加物も不使用というのもビックリです。

塩は加計呂麻の海水から炊いた自然海塩、
他の調味料も昔ながらの製法で作られた菜種油と醤油を使用(遺伝子組み換えしてない原材料もの)だそう。



tsumugiさんがブログに書かれていますが、
「美味しい野菜を使って、野菜本来の味を大切に、旨味を引き出す料理がマクロビオティックの調理法」。
それがなによりですよね。



そして、おやつも!

「たんかんと黒糖の天然酵母マフィン」です。


たんかんも、加計呂麻産無農薬のもの。



「tsumugi」さんは、2012年6月に、加計呂麻島の押角にオープン。

営業は基本的に土日ですが、
お忙しそうなのでブログなどで営業を確認してください。

注文で今回のようなお弁当の配達もしているとのこと。
毎月一回、瀬相港で開かれる「 加計呂麻 青空市 」にも出店もしています。


■ tsumugi  http://tsumugi405.blog.fc2.com/


マクロビには、
身土不二(暮らす土地の旬のものを食べる)という考え方があるそうで、
島の恵みを受けて育ったものをこんな形で美味しく食べられるというのは、
単純にそれだけで、幸せなことですよね。






2013.2.27 瀬戸内町 加計呂麻島 芝・押角 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 12:22Comments(0)たべもの

2013年03月27日

加計呂麻 芝集落散策

伝統行事「バッケバッケ」や豊年祭「相撲甚句」などを観に、
たびたび訪れている加計呂麻島の芝(しば)。

55世帯、人口80人のシマ(H25年1月末現在)

第6回島案内人育成講座に同行し、
今度は、ゆっくりと集落の中を散策してきました。


案内してくださったのは、芝にお住まいの豊島良夫さん。
まずは集落の端、薩川方面の海岸のほうへ。



海に突き出ている岩場「ワキンノハナ」。
ノロ神が、祭りをしていたというところ。

親ノロがハブを呼び出し、7つにちぎり、
頭を親ノロが食べ、残りを他のノロに与えた・・・という話も残っています。


岩場のそば「ワレンマ」には、防空壕跡が。
芝の人たちが手掘りしたもの。

中の高さは、約180cmほど。
「向こうに抜けられそうでしたが、ハブが怖くて止めた」と現場監督M。


木々が生い茂ってて分かりにくいですが、
隣の薩川集落へと続く山道。

薩川出身の受講生の方がここで思い出話を。
「芝の豊島丸船長が小学生だった頃、
ここを走ってきて15分で薩川に来たことがありますよ!」。

芝~薩川は現在の舗装された道で3km。歩けば約50分ぐらいでしょうか。
それを近道とは言え、小学生の足で15分とは驚きです。



元ペンション芝の奥には、むかし鍛冶屋があったそう。



その入口には、
魔除けとなる「石敢當」の一種でしょうか。
彫られている文字は 「石敢燈魔余仮」(?)。



ななめに積みが珍しいサンゴの石垣。



今は立派な畑となっている「ヤクジョアタリ」。
薩摩藩の島役人の役所があったとされています。

山裾には、落差3mほどの滝があり、
そこの泉跡では、ノロが水を汲む場所がありました。



豊島 榮(とよしま・さかえ)誕生地の碑。
明治2年生まれ、奄美の農業の礎を築いた人物。

島の人々の貧しい生活を見て育った豊島栄は、近代的な農業を学ぶため
当時農業研究では最高学府である東京駒場農林学校へ。
農林省からの就職の誘いも断り、大島島庁へ入るなどし、島の農業へ貢献。


泉跡の「ソツ」。



泉は、昭和2年の天皇行幸記念に青年団が整備。



日本のロシア文学研究の第一人者、「昇 曙夢(のぼり ・しょむ)生誕の地」。
海岸近くの胸像とは別の、集落の中にあります。

晩年は、奄美群島本土復帰運動に本土でリーダーとして尽力、
また郷土史家としての顔も。


石垣のあたりは、旅館跡。
昭和20年頃まであったそう。

古仁屋から名瀬への船の航路で、
加計呂麻島の人などは、いったん芝までやって来て一泊してから乗船。
昔は加計呂麻島内だけでも移動が大変だったことが分かりますね。

また、ここは豊年祭の振り出し場所。もう一つの場所と、年によって変わります。


新しい公民館の前のミャー(広場)には、トネヤが。
このそばには、簡易小学校がありました。



島でめずらしい赤レンガは、豊島家の屋敷跡。



近衛兵記念の門柱。昭和初期のもの。



コンクリートになってはいますが、カミミチ。
集落内には他にカミミチが2ヶ所あり。



宇検村にはたくさんありますが、
瀬戸内町では唯一、集落の共同納骨堂。



秋葉神社。
火事をおさえるために幕末に勧請したといわれます。



旧6月22日が祭日で、テラユワイ、テラマツリ。
忠魂碑もあって、祭日には日の丸を奉納する人も。




悲劇の死を遂げた夫婦を祀っている「イベガナシ」。

島役人の夫が、
自分が留守にするあいだ護身用にと妻に短刀を渡します。
夫は予定より早く帰ってきてしまい、
不審者と思った妻から刺され死亡。それを追って妻も自死したという悲しいおはなし。



集落の墓地へ。
ここには、「真塩加那 芝乃呂久目二代 宝暦十年」と彫られたノロ墓もあります。



また「與人 黍横目」と書かれたものが。

「與人(よひと)」とは、島の人が就ける役人の最高職。
「黍横目(きびよこめ)」は、サトウキビを取り締まる役人。
今で言えば、町役場の農林課 課長あたりでしょうか?



集落の西の外れにある「タンマ」へ。

この周辺は、藩政期には米蔵があったり、
江戸時代末頃には墓が建ち、昭和40年代までは田んぼもありました。


藤原 為矩(ふじわら・ためのり)の墓。
1771年に流刑され、4年後芝で死去した砲術家。


この碑文を建てたのは、
同じく砲術家で、1776年に加計呂麻島に流刑された徳田邑興(とくだ・ようこう)。

徳田邑興が主張していた火力絶対主義の兵法は、
薩摩藩士の伊地知正治に受け継がれ、
現在放送中のNHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場する『白河口の戦い』で発揮されます。

(参考:桐野作人「さつま人国誌」 http://373news.com/_bunka/jikokushi/75.php



堤防には、子どもたちの描いた絵。



ここもほんの数年前までは、砂利道だったんですが舗装されてます。
変わらないようで、少しずつ変わっいく島の風景。



その他、今回、行けなかったのが「クビリ」と呼ばれる場所があります。
人力で掘削したとされる運河。

黒砂糖を運ぶため芝と薩川を船で行き来する際、
突き出たデリキョンマ岬を回るよりも、クビリから船を転がして超えたほうが早い。
そのため明治になって地主たちがお金を出しあって運河を掘削。
大正10年ぐらいまでは、漁船も通っていたそうです。





島案内人育成講座の受講生の一人が
「最初は、この集落で何を見るんだろう?って思ってましたが、
盛りだくさんで時間が足りないくらいでした」と感想を述べていました。


私自身も、何度も足を運んでいるようで、
まだまだ見たことのない、
知らなかったシマ(集落)のものがたくさん。

シマには、気づかないようでまだまだ語れるものがたくさんあるんですね。



約3時間かけて、芝集落の中を案内してくださった豊島さん。

豊島さんのようにシマを語れる人がいる芝。
人が一番の宝・自慢かもしれません。

うたた寝している間に、親戚の子どもが落書きしたイラストの帽子。
とってもチャーミングでした!




< 参考文献 >
・「 奄美 加計呂麻島のノロ祭祀 」 松原武実  
・「 加計呂麻島ノロ祭祀調査報告 (旧実久村編) 」 松原武実、高橋一郎 
・「 まんでぃ 」 瀬戸内町役場まちづくり観光課





2013.2.27 瀬戸内町 加計呂麻島 芝 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内








  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 10:01Comments(0)加計呂麻島

2013年03月22日

海垣サミットin奄美

3月23日(土)、奄美市名瀬で
「 九州~奄美~沖縄  海垣サミット in 奄美 」 が開催されます。

海岸に石を積み上げ、
潮の干満の差を利用した伝統的漁法「海垣」。


奄美大島でもかつては各地で行われており、、
瀬戸内町は加計呂麻島 木慈集落にもその垣漁跡が。

ゴガツゴンチには伝統行事として「垣起こし」が行われています→その様子

▲木慈集落・薩川小学校のみなさん


サミットでは、基調講演をはじめ、
各地域での利用方法や資源活用の取り組みなどの事例発表があります。

奄美大島からも3地域からの参加が。

昨年、垣おこしを取材したご縁から、
木慈集落を中心とした瀬戸内町の海垣について、
われわれS.B.I(瀬戸内町文化遺産活用実行委員会)のメンバーが報告させていただきます。


「 九州~奄美~沖縄  海垣サミット in 奄美 」



【 日時 】   3月23日 (土) 10:00 ~ 17:00

【 場所 】   奄美市立 奄美博物館 (奄美市名瀬長浜町517番地)


【 内容 】  
         ◎ 10:00~ 開会式

         基調講演 ① 「 よみがえる伝統漁法 石干見 」 
            
                   講師 田和 正孝 先生 (関西学院大学教授)
 
  

         基調講演 ② 「 現代によみがえる『漁具の化石』 魚垣と里海創生 」   
                 
                   講師 秋道 智彌 先生 (総合地球環境岳研究所名誉教授・理学博士)


         ◎ 13:00~ 参加地域による事例発表  

 
        ・ 「沖縄の里海 ~海垣や海洋保護区との関係 」
                  
                   鹿熊 信一郎 氏 (沖縄県水産業改良普及センター) 



         ・ 大分県 宇佐市長洲
         
         ・ 長崎県 五島市富江町   ・ 長崎県 島原市  
        
         ・ 沖縄県 石垣市白保     ・ 沖縄県 八重山郡西表島
  

               
         ・ 奄美市 笠利町手花部
       
         ・ 龍郷町 瀬留
       
         ・ 瀬戸内町 木慈
 


         ・ 「世界海垣ネットワークの構築に向けて”地域の海を地域で守る”取り組み」
       
                   上村 真仁 氏 (WWF サンゴ礁保護研究センター長)




         ◎ ディスカッション及び質疑応答


(問) 奄美遺産活用実行委員会 0997-54-1210
         
 



▲木慈の海垣




  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 11:45Comments(0)行事・イベント

2013年03月19日

クロマグロ研究 「西海区水産研究所 奄美庁舎」

瀬戸内町は、「クロマグロ養殖日本一」のまち。

「まぐろ養一」クンなる、ゆるキャラも誕生していますね。

数社の民間企業のマグロ養殖場や、
大学の研究所などが大島海峡周辺にあり、
日本人が大好きなマグロを世に送り出しています。

そのうちの一つに、
公共的な立場でクロマグロに関する研究を行なう

独立行政法人 水産総合研究センター
西海区水産研究所 奄美庁舎」があるのをご存知でしょうか。




第6回の島案内人育成講座(主催:瀬戸内町役場まちづくり観光課)に同行して、
加計呂麻島・俵の仲田浦にある施設にうかがってきました。

案内してくださったのは、
「まぐろ増養殖研究センター」種苗量産グループ長の塩澤 聡さん。



今回は、残念ながら迫力満点のマグロの給餌を見ることはできませんでしたが
スライドを使って、研究内容や目的、
マグロ養殖の現状など、さまざまなことを教えていただきました。



こちらは、平成7年に「(社)日本栽培漁業協会 奄美事業場」として開所。
その後、統合や名称変更などを経て、
平成23年に現在の名称となりました。


この「西海区水産研究所 奄美庁舎」は
クロマグロに関する増養殖研究の拠点として、

親魚養成、産卵、種苗生産(稚魚を育てる)、中間育成、
および放流に関する基礎的技術の研究開発に取り組んでいます。


施設内には、
管理棟をはじめ、ふ化棟、種苗生産棟、実験棟などが。、

また湾内には、生け簀があり
クロマグロの親魚養成や種苗の育成などを行なっています。



母体となる水産総合研究センターは、

水産物の安定供給の確保と、健全な発展に貢献するため、
一貫した研究開発と個体群の維持などを総合的に行なう独立行政法人。



ここで、個人的に初めて聞いたのが『 栽培漁業 』という言葉でした。


昔は、自然の海にいる魚介類を「とる漁業」。

『 栽培漁業 』は、「つくり育てる漁業」の一つ。

魚介類は、卵から稚魚の時点でたくさん死んでしまうので、
その時期を人間が育て
自然の海で生きていける大きさに育ったところで稚魚を海に放す。
その後、海で育ったその魚をとる漁業のことを言います。

栽培漁業は、天然資源と放流資源を包括的に管理することによって、
水産資源の維持・増大を目指し、安定した漁業生産の確保に結びつけようとするもの。


全国にある水産総合研究センターの施設では、
その土地にあった魚介類の栽培漁業に関する研究がなされています。




そのなかで、奄美庁舎では、クロマグロが研究対象になっています。

さまざまな要因で世界中でマグロの消費が増大し、
漁獲規制騒動が起きるなど
マグロをめぐる状況は厳しくなっています。

また日本は世界で漁獲されるマグロの4分の1を消費する
世界最大のマグロ消費国。

しかも食べているマグロの60%は外国産のマグロで、
世界最大のマグロ輸入国。


世界的にも、国内的にもクロマグロの安定供給ができるように、
栽培漁業による種苗の放流(稚魚を育て、海に放流)と養殖が急務となっているようです。



マグロの中でも、クロマグロが選ばれたのは、

・マグロのなかでも、最も大型に成長

・年間の成長量が最も大きい(奄美は水温が高いので成長も早い)

・極上のトロが取れ、美味しく刺身マグロとして珍重されている

・マグロの漁獲量の約2%と、希少価値がある

・産まれた日本周辺戻ってくる産卵回帰性がある

などの理由が。





瀬戸内町がクロマグロ養殖日本一となったのは、

・複雑に入り組んだ地形で台風など荒天時に波浪の影響が軽減される

・成長に適した20-28℃の水温で、
 内地では3年間がかかるところが、奄美では2年間で出荷可能

・早く出荷できるので、人件費が減らせる

などの要因から。





国際的に重要な漁業資源であり、
日本人が大好きなクロマグロ。

瀬戸内町は、
養殖で日本一になるとともに、
こういった研究施設でクロマグロ漁業の存続と資源管理を支えています。


現在、クロマグロはまだまだ人工的に作るのが難しく、
天然の幼魚ヨコワから増やしている状況。

同施設のクロマグロ研究が目指すものは、
人工種苗(稚魚)を使用した養殖、
100%日本産マグロの供給や、
日本が世界最大のマグロ輸出国となること。

そんな研究が瀬戸内町でなされているんですね。

今回は、漠然としか知らなかった
瀬戸内町とクロマグロをとりまく状況について
いろいろと学べ、たいへんいい機会となりました。


なお、同施設の見学は、教育・学習・研修目的のみ可能。

個人では見学できませんが、
機会があればぜひ参加してみてください。



■ 独立行政法人 水産総合研究センター http://www.fra.affrc.go.jp/

■ 水産総合研究センター 西海区水産研究所 http://snf.fra.affrc.go.jp/  







2013.2.27 瀬戸内町 加計呂麻島 俵 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内

  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 18:06Comments(0)加計呂麻島

2013年03月15日

瀬戸内のシマグチ 完成披露試写会

瀬戸内町のシマグチ(集落の言葉・方言)を学ぶための
映像教材「瀬戸内のシマグチ」。

東京外国語大学 国際日本研究センターの前田達朗さんが中心となり、。
昨年6月に、第一回の編集委員会が開かれ、制作が進められてきました。

町内のシマジマをめぐり、長い期間をかけて丁寧に収録・編集。

このほど、その映像が完成。
お披露目会が関係者を招いて古仁屋で開かれました。




場所は、古仁屋のライブハウス「JUICE (ジュース)」。
「瀬戸内のシマグチ」編集委員会のメンバー、
映像に登場する集落のかたがたや協力くださったみなさんを招待。


また、ちょうど同日に名瀬で開かれていた
「琉球継承言語シンポジウム」に参加していた
世界中から集まった言語のスペシャリスト16人などもいらっしゃり、国際色豊かな会場に。


「瀬戸内のシマグチ」編集委員の徳永 允(まこと)さん。与路島出身です。

中学校の先生として町内で勤められ、
定年退職後もシマグチ伝承活動に関わってこられています。
先日の「なんこ瀬界大会」でも講師を務めてくださいました。



東京外国語大学国際日本研究センター 副センター長の坂本恵さんも来島。
完成を喜んでくださいました。

同センターから、社会言語部門の伊集院郁子さんも出席。


この制作の陣頭指揮をとった東京外国語大学の前田達朗さん。

「1年かけて内容盛りだくさんのものができました。
まず町のかたに感謝です。ずいぶん無理もお願いしましたが、
みなさん快く受けてくださいました。今後はほかの集落でも取り組んでいきたいです」
とのお言葉!

自分の住んでいるシマの映像がどんなふうになるか楽しみです。



前田さんは、2004年
大学院生の時にたまたま瀬戸内町に調査で来島。

その際に、公民館で子供向けにシマグチを伝えようと努力する人々の情熱に触れて、
「なにかできることはないか」と探し続けたそうです。

それから約10年構想を温め、
実際に瀬戸内町での収録などの制作・編集をはじめ、
ほぼ1年かかって、この「瀬戸内のシマグチ」の完成にいたりました。

最初にお会いしたのは、真夏の暑い日にたまたま篠川小学校にて。
短パンにサングラスでちょっと怪しい観光客かと思ってました・・。

関西弁の、学者らしからぬ(!?)その気さくな人柄。
何度も瀬戸内町に足を運んだりと、そのシマグチに対する熱意に打たれて、
島の方々も喜んで協力したのだと思います。



「瀬戸内のシマグチ」は、2枚組のDVD+テキストの教材。

< 内容 >
・シマグチ会話
・文法、数の数え方、地名
・集落紹介など
・芸能(シマ唄、伝統芸能) など。

登場する集落は、
①篠川 ②俵 ③諸鈍 ④与路 ⑤古仁屋

芸能編では、
シマ唄の西 和美さん、里 朋樹さん、里 歩寿さん、徳原大和さん、そして諸鈍シバヤ。


その盛りだくさんの内容をまとめ、
今回は、ダイジェスト版 約30分のお披露目。

生活に根付いたシマグチは書かれることはほとんどなく、
また「かな」では書き表しにくいという特徴が。

かつては口伝えで引き継がれてきたシマグチを伝える手段として映像を主体に制作されています。


与路編、せとうち海の駅での会話。
若者も登場してます。



諸鈍編、続柄のシマグチ。
母→ウッカと、変わっていくので分かりやすいんです。



上映が終わって、シマのみなさんもこの笑顔!!


この教材「瀬戸内のシマグチ」は、3月中にDVDとテキストも合わせて完成し、
4月に入ってから配布予定。

町内の小・中学校、
登場する集落に配布。

また瀬戸内町立図書館でも観られる予定です。

小学生向けと銘打ってますが、
シマグチを学びたい人には誰にでも役立つ内容です。

またシマッチュにとっても、
自分のシマと他シマのシマグチの違いなど発見できて楽しめることでしょう。


本当は、多くのシマッチュと日常で接しながら、
自然とシマグチを学べるのが一番いい方法ですが、
なかなかそうもいきませんよね。

こういう教材ができたこと、本当に嬉しく思います。


現物が届きましたら、
また詳細などあらためてお知らせいたします。

お楽しみに!



2013.3.2 瀬戸内町 古仁屋 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内






  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 09:27Comments(0)シマグチ

2013年03月12日

加計呂麻島の黒糖づくり 「西田製糖工場」

奄美は、ただいまサタづくり(黒糖の製糖)のシーズン真っ盛り。

この時期になると
店頭に「新糖あります」という張り紙が出るのが楽しみですよね。

現在、瀬戸内町内で販売用の黒糖を作っているのは6つの製糖工場。
ほかにも個人用に製糖しているかたもいらっしゃいます。

そのなかのひとつ、
加計呂麻島の佐知克(さちゆき)集落にある西田製糖工場
黒糖ができるまでを見てきました。



第6回の島案内人育成講座(瀬戸内町役場まちづくり観光課主催)に同行しての見学です。

製糖を知らせる、工場の煙突からの湯気。
この日は南風が吹いていて、湿度が高かったようで湯気もすごい!


奥さんの西田和子さんに案内していただき、
黒糖づくりの順番を教えていただきます。


基本的な流れは以下の順番。

① 刈り取り・運搬

  ・サトウキビを刈り取り、工場まで運搬 

② 圧搾 

  ・サトウキビを圧搾機にかけ、糖汁を搾る

③ 釜炊き (一番釜~三番釜)

  ・3つの釜で糖汁を煮詰める

④ 撹拌

  ・濃縮された糖汁を撹拌しながら冷却

⑤ 成形・袋詰め

  ・一口サイズに成形後、袋詰め



工場の目の前には、山と積まれたサトウキビが。
植え付けから1年~1年半かけて収穫されます。

こちらでは、自社の畑からと約20軒の農家からのサトウキビで製糖。
もちろんすべて加計呂麻島産で、
栽培指導などをしながら糖度の高い良質のものを手に入れてます。


まずはどんどんサトウキビを圧搾機にかけて、糖汁と搾りカス(バガス)に分けていきます。
バガスは、そのまま燃料や肥料として利用。


次に搾られた糖汁を、一番釜から三番釜まで3つの釜で煮詰めていきます。

美味しい黒糖を作るために、
一番釜では、とにかく丁寧にアクを取り除くことが大事。

石灰を入れアクを浮かせやすくし、
いろいろな不純物とともに除去していきます。
これは、葉ものなどの野菜をアクを取るために
重曹を入れるのと同じ作用だそう。なるほど。


アクを取り、どんどん煮詰め、二番釜から三番釜に移された頃には、
さらさらした黄緑色のサトウキビジュースが褐色の飴状になっています。



和子さんが道具に固まってついている黒糖を味見させてくれました!
こういうのが美味しいんですよね~。 



三番釜では、焦がさないようにかき混ぜて煮詰めてを繰り返し、糖度と固さを調整。
糖度計も使うんですが、やはり職人さんたちは最終的に舌で固さと糖度を確かめます。



三番釜で煮詰められた糖汁を、ここぞという瞬間で撹拌器に移します。
ご主人の西田寛次さんの厳しい目が。



撹拌器では、空気を含ませ冷やしながら固さを決めていきます。



撹拌器から取り出し、急いで作業台へ!
見た目も柔らかさ程度も、この時点ではお味噌よりちょっと固いような感じでしょうか。



運ばれた黒糖は、いっせいに素早くカットしていきます。
固まると割れてしまうので切れなくなります。スピードが命。



みるみるうちに、ひと口大のころころとしたかわいい黒糖に。



袋詰めされて、全国へと旅立ちます。
東京用とかパッケージがいろいろあるのが面白いです。



ご主人の西田寛次さん。


佐知克集落は土質がよく、サトウキビづくりが盛ん。

この工場は、昭和36年頃まで集落が組合として協同で利用していました。

その後、瀬戸内町に大型製糖工場ができたため、集落の組合は解散。
しかし、その大型製糖工場も7年ほどで閉鎖したため、
昭和47年から西田さんが個人で黒糖づくりを始めました。


  * 


途中、併設されている「きび酢」工場も見学し、味見。

「きび酢」は、サトウキビの搾り汁からできるお酢。
このタンクの中でじっくりと熟成しています。

サトウキビの汁を加熱し、水を加えてタンクに移すと、
加計呂麻島の空気中に浮遊する酵母菌や酢酸菌などの微生物の力で
自然と発酵してできる天然醸造酢。

黒糖が原料なので、酸っぱさの中にまろやかな甘みもあり、
ミネラル分などを豊富に含む健康食品。

昔は、サトウキビの搾り汁をもらってきて
家庭できび酢を作っていた人も多かったとか。

いまは瀬戸内町の特産品として、
「きび酢」だけでなく、ドレッシングやポン酢などの商品もありますよね。


  * * 


島案内人育成講座の受講生も、撹拌の作業を体験。
撹拌器がなかった頃は、もちろんこんなふうに人力で。
あっという間に固まってしまうので、ずっと回し続けるのが大変な作業。



いい感じになったら、広げてザクザクと切っていきます。



できたてほかほかの黒糖は、とびきりの美味しさ。
パクパクと手が止まらなくなります!



袋詰もみんなで。



最後に、和子さんに黒糖づくりについて質問など。

西田さんのところでは、黒糖やきび酢を販売してるので購入可能。

「観光に来た人たちが、付加価値を見つけてうちの黒糖を広めてくれたの」と和子さん。

昔は、おみやげとしての黒糖がなかなか売れず、
宇検村や遠く笠利町までも売りに行っていたそう。




シマの日常にかかせない黒糖。

昔は、集落にサタヤドリ(製糖小屋)がいくつもありましたが、
いまはその過程を見る機会はなかなかありません。

現在も、小さな製糖工場では、
昔とほとんど変わらない製法で黒糖をつくっています。

工場の一日の始まりは早く、
夜中2時ぐらいからサトウキビを搾る圧搾を開始。

その後、朝8時ぐらいから釜炊き、袋詰まで
一日16回ほど繰り返すそう。


黒糖ができるまでを実際に見てみると、
ほんとうに手間ひまがかかっていることが分かり、
いつも食べている黒糖が、何倍も美味しく感じられることうけあい。


昔ながらのサタづくりの風景、
この時期だけの島の楽しみです。





(問)西田製糖工場 0997-76-0177

※西田製糖の製糖は12月中旬~5月上旬ぐらいまで。
最盛期の1月下旬~3月末までが週2回、そのほかは週1回ほど。
見学したい場合は問合せして確認を。

きび酢工場は一年中見学可。






2013.2.28 瀬戸内町 加計呂麻島 佐知克 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内

  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 15:23Comments(0)加計呂麻島

2013年03月09日

クジラ・イルカ全島一斉調査 参加

3月6日(水)、
奄美のクジラ・イルカ全島一斉調査」に参加してきました。

島内のダイビング業者などでつくる「奄美イルカ・クジラ協会」によるもの。
奄美大島全域に分かれ、6隻の船で調査。

結果、全体で 

     ザトウクジラ 9群 13頭  
     
    ミナミバンドウイルカ 5群 103頭  が確認されました。



われわれもそのうちの1隻に乗船して、調査に参加しました!!


▲晴天、ベタ凪! 外洋がこんなに穏やかなのはめずらしいですね



6隻の船は、以下に分かれて。

・ 奄美市 笠利町・龍郷町
・ 瀬戸内町 与路島周辺
・ 瀬戸内町 加計呂麻島・請島~奄美市住用町
・ 奄美市名瀬~大和村~宇検村


われわれの乗った船は、
まずは加計呂麻島の徳浜沖へ。

「一番多く、目撃情報があるいいところだよ」と言われ、期待が高まります。



水中マイクを入れて、ホエールソングを確認。



こんな感じで聞こえてきました。
奄美大島 スタジオーネのダイビング日記


近くからクジラの鳴き声が聞こえてきます! みんなで目を凝らして。



途中、ウミガメの甲羅干しを発見。
現場監督兼ウミガメ博士のミズノによると、これは本当に本当に珍しい例だそう。
ものすごく興奮してました。


この日はやたらとウミガメに遭遇。
5個体ぐらい出会ったようです。



ホエールソングは聞こえるものの、
なかなかクジラはあらわれてくれません。

加計呂麻島の徳浜から、請島のジャナレ島付近へ。

それでもあらわれず、住用町の市崎方面まで行きました。


そして 

   ・
   ・
   ・
   ・


なんと私たちの乗った船は、


クジラも、イルカも
一頭も見ることができませんでした!


こんなことがあるのでしょうか?

ほかの船と携帯で連絡をとりながらの調査。
「◯◯でクジラ出た」、「次は△△で出た!」。
メーリングリストでも目撃情報はどんどん入ってきていたそうです。


それなのに、われわれは誰ひとり姿を見ることができませんでした・・。
全員が見ることができなくても、1,2人ぐらいは見られるものだと思っていましたが。


次の日にほかの船の情報を聞いてビックリでした。

なんとザトウクジラ13頭、ミナミバンドウイルカ103頭ですからね。


ほかのかたのブログを見て、うらやましいやら、悲しいやら・・。

カケロマ ホエールプロジェクト
奄美大島☆撮影日記
奄美大島 ダイビングライフ
リキのちょいまじ加計呂麻!!
加計呂麻島の島生活日記


こんなこともあるんですねー。


われわれが加計呂麻島の徳浜沖から、請島、
そして奄美市住用の市崎まで行ったのは、
ぜんぜん発見できなかったからなんです。



その代わり(?)には、まったくなってませんが
海からしか見ることができない貴重な場所「篠穂の滝」に近づいてみました。



瀬戸内町の嘉徳と奄美市住用町の境にあるこの滝。
海に直接落ちていきます。



今回は、ちょっと水量少なめでしたね。
シーカヤックなどで上陸すると、もっと迫力があって楽しそうです。



また住用の市崎付近の絶壁にあった謎のコンクリート板。分厚いです。
どうやら戦時中に、瀬戸内町の皆津崎から標的として狙われていたようです。



朝10時ごろに出発し、
古仁屋港に戻ったのは17時ぐらい。

われわれの船は一頭も見られませんでしたが、
全島一斉調査としては、予想以上のいい結果が得られたようです。

『クジラ・イルカが出現しない場所や時もある』ことが分かったことも、貴重な調査結果・・・だそうです。(涙)。


3月10日(日)、調査をかねた
ホエールウォッチングモニターツアーを開催するとのこと(有料)。

詳細は、

奄美大島☆撮影日記  「3/10 モニターツアーのお知らせ」でご確認を。


みなさんが多くのクジラ・イルカに出会えますように!






2013.3.6 瀬戸内町 加計呂麻島~請島 、奄美市住用 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 18:26Comments(0)自然

2013年03月08日

三浦 「奄美サウスシ-&マベパール」

風光明媚な大島海峡で
南洋真珠とマベパールを養殖し、加工・販売などをしている
奄美サウスシー&マベパールの養殖場を見学してきました。


今年1月、
レスリングの吉田沙保里選手が奄美大島に来島した際に、
13大会連続世界一を記念して
同社よりゴールドパール(南洋真珠)13個をプレゼントして話題になりましたね。




養殖場は、加計呂麻島は三浦集落にあります。

今回も、第6回島案内人育成講座に同行させていただき、
受講生のみなさんと一緒に勉強です(第5回の様子はこちら)。



南洋真珠や、
国内では奄美大島だけでしか養殖されていない希少なマベパールのこと、
真珠養殖の流れなどについてのお話をうかがい、
実際に作業場などの見学などをさせていただきました。





< マベパール >

マベパールは、国内でも奄美大島のこの会社だけで養殖されているの希少なもの。

大きな特徴は、真珠が半球体であることです。

淡いピンクからバラ色、虹色など
自然な色のバリエーションを楽しむことができ、
真珠層のきめ細やかさや、色つやの美しさに定評が。

マベパールの母貝「マベ」は成長すると大きさが20~30cmと、
国内の真珠貝の中では一番大きく、
日本では主に奄美大島から沖縄にかけて生息。

生息数が少なく、
潮流の速い場所などに生息しているため
天然貝を採取することが非常に難しく、
奄美サウスシー&マベパールの前身である田崎真珠が人工採苗技術を確立するまでは、
その希少性から「幻のパール」と呼ばれていたそうです。

養殖には、温暖で新鮮な潮流が必須条件で、
この三浦湾は、養殖に好条件が揃った環境。



▲母貝となる、左の白いのが「白蝶貝」、右の黒い貝が「マベ」。
マベはその形から、学名が「ペンギンの鳥の翼」という意味を持つ。



< 白蝶真珠 (サウスシーパール) >

白蝶貝を母貝とする南洋真珠。

もともと白蝶貝は熱帯地域のオーストラリア北部、インドネシア、ミャンマーなどで
養殖されており、長い年月をかけて奄美の海に適応する貝に仕立てられたもの。

通常の南洋真珠は、核を挿入した約1年半~2年間養殖しますが、
奄美大島では成長が遅いため約2~3年をかけます。
その分、きめが細かく、透明感のある美しい輝きをもつ真珠が生育。

豊かなテリと深みのあるゴールドの輝きが人気。

”金メダル”にちなんで、吉田沙保里選手に送られたのは
こちらのパールですね。






養殖から製品になるまでには、なんと6年以上かかるそう。


①採苗 
真珠貝の赤ちゃんを育てる

②養殖
約4年間海の中で育てる

③挿核
真珠の元となる核を入れる

④浜揚げ
約2年後、真珠を取り出す

⑤加工・販売
加工していろいろな製品に仕上げ販売


文字にすると短いですが、たいへんな年月がかかっていますね。



▲マベの浜揚げ作業。6年以上経ってやっと陸に


奄美大島でのマベパールの養殖が始まったのは、明治43年(1910年)。

瀬戸内町の油井小島と俵小島において、
猪谷荘吉氏と池畑末吉が共同で養殖を開始したのが最初。

一時はスペインなど海外に輸出されるまでになりましたが、
太平洋戦争により、昭和18年(1943年)には中断されることに。

その後、復活し、
昭和41年(1966年)に田崎真珠を含む真珠養殖業者11社と
瀬戸内漁協が協力して「マベ真珠養殖振興協会」を設立。

真珠不況で協会は解散しましたが、
昭和43年(1968年)に田崎真珠単独でマベ真珠の人工採苗に取り組むことに。
昭和49年(1974年)には、人工採苗貝を使ったマベ真珠の量産化を実現。




しかし、平成21年(2009年)1月、田崎真珠が撤退。

元社員の有志が出資し、閉鎖した養殖場を買取。
「奄美サウスシー&マベパール株式会社」が設立されました。

現在、約40名のかたがたが働いています。




一般のかたでも、
こちらの三浦養殖場では工場を無料で見学できます。

またマベパールの
真珠挿核、浜揚げも体験ツアーもあり(1人5000円)。

※見学、体験ともに前々日までに要予約。



▲「大きくて、なんと言っても歯ごたえがいい」と言うマベの貝柱は、
瀬戸内漁協におろしているとのこと。せとうち海の駅にある漁協直営販売所「海力」での販売、
また2階のレストランでは海鮮丼などで食べられる。
宇検村の「うけん市場」でも販売中で人気。



もちろん真珠製品は、古仁屋の本社で購入可能。
現地価格で購入できるので、瀬戸内町のおみやげとしてもいいですよね。



▲三浦の養殖場の敷地内には、供養塔が。
「貝は命と引きかえに、真珠を生み出していますからね」と同社の取締役兼管理統括部長の杉野さん。
年明けにはみなさんで供養し、仕事はじめ。



美しい大島海峡の中で、
愛情と手間ひまかけて育てた真珠たち。

その輝きだけでなく、
瀬戸内町の恵まれた自然環境や、奄美の人々が生み出している過程も知っていただきたいものです。





< 参考 >
・奄美サウスシー&マベパール http://www.amaminokagayaki.com/
・「まんでぃ 加計呂麻島・請島・与路島をめぐる旅」 瀬戸内町役場まちづくり観光課



2013.2.27 瀬戸内町 加計呂麻島 三浦 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内

















  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 09:24Comments(0)産業