しーまブログ 旅行・観光瀬戸内町 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2012年10月30日

清水 ティーヤ・ヒヨヒヨ

瀬戸内町の清水(せいすい)集落では
旧暦9月6日夜から7日早朝にかけて
伝統行事「ティーヤ」がおこなわれています。

新暦で言うと、今年は10月20(土)・21日(日)でした。

この「ティーヤ」は、清水にある厳島神社の祭り。
清水のはしっこ、嘉鉄集落側の県道沿いに神社はあります。

海に向かって、そして集落を見守っている厳島神社。


ティーヤとは、「通夜」からきているそう。

集落住民が神社に集まって
お酒を飲み楽しみながら夜を過ごし、
その翌朝、神前にソテツの葉を供える『ヒヨヒヨ』を行います。

「無病息災と五穀豊穣を祈る行事」
と集落では言い伝えられています。

かつては本当に夜通しで祭壇に明かりを灯し楽しんだため、
通夜・徹夜=ティーヤと呼ばれたとのこと。

旧暦行事で平日のことも多く
現在では、会社勤めのかたも多いため、
徹夜することはないようです。





「元禄」の文字が刻まれており、
瀬戸内町内でも最も古い神社ではないかと言われています。



旧暦9月6日の朝8時から集落では準備作業に入ります。

婦人会は公民館で、お供えの団子づくりなど。



ころころと、かわいらしい団子。
お供えしたあと集落の人たちに配るので、大量です。
餅粉と米粉合わせたもの4kg分を小さめに作って。
このあと茹でてできあがり。



左上からウシュンメ(海水で洗ったお米)、シュク(粢・しとぎ、神前に供える餅として米粉を練ったもの)、
団子、そして米と塩。



一方、男性陣は厳島神社周辺の清掃です。



厳島神社は海の神様。

社殿すぐ横に階段が。
昔は、ここからまっすぐ海岸に向けて参道、そして鳥居があったそうです。
現在は県道が通っているので道が分断されています。



ガードレールの向こう側。
神社から続くかつての参道。
この日は、もちろん清掃していました。

神さまの通り道を丁寧に清める。
清々しく、とても気持ちのいいものですね。



社殿の裏に、自然石が祀られています。
こちらに左から海水、酒、水をお供え。


そして・・・

午前中に準備は終わり、
午後8時ごろ、集落の人々が神社にふたたび集まって来ました。



朝に作った団子などを神前に供えます。


こちらにも海水、酒、水も。


ミキも芭蕉の葉で蓋をして。二樽供えていました。



集落のかたがたは、神社に着くと
社殿の外にある自然石と、
中の祭壇の両方に線香をあげて主に家内安全の祈願をします。

そのあと男性は主に外、女性陣は中で。
みんなでお酒など飲みながら歓談。



チヂン(太鼓)で八月踊りの唄をうたったり、
ギターで懐メロを歌ったり。


こんな感じで夜が更けるごとに人が増えて盛り上がり、
宴会は0時半ぐらいまででお開きになったようです。


この日は月がとても綺麗でした。
なんと月の光が海の上で道となって、
むかし鳥居があったところから参道へとまっすぐ続いていたのです!

午前中に掃除をしていたところ。
神さまがこの日は厳島神社へいらっしゃっていたのでしょうかね。





そして旧暦9月7日、朝6時。

厳島神社へ向かうとすでに「ヒヨヒヨ」が始まっていました。



この「ヒヨヒヨ」は、
集落の人たちが「ヒヨヒヨ」と唱えながら、ソテツの葉をちぎって社殿に投げ入れていきます。
中には数える人が。



決まって左回り。
昔は子どもがいっぱいいたので、ソテツを投げ込むのは子どもの役割だったとか。



ヒヨヒヨはソテツの葉が1000本になるまで続けられます。
まずは10本ずつ束に。


10本をまとめて、100本の束に。


1000本になりました。





残念ながらこの「ヒヨヒヨ」の意味と由来は、
はっきりとは伝承されていないよう。


明治42年生まれの野村エダさんにうかがった話が
「南島研究 45号」(南島研究会編)の 『サニの民俗 / 町 健次郎 』にありました。

『ティーヤの由来は、藩政時代に大火があって清水村が焼けた事件のあとにはじまった行事という。
また、神社は元々「トノチ(殿地)」とよぶ七軒の持ち回りで管理していたもので、
祭りの意味は清水にもっと人が増えるように、子孫繁栄の祈願である』



こちらも神前に一年間供えられ、一年ごとに新しいものに変わります。



朝6時15分過ぎ、
そろそろ集落の人たちがミキをもらいにやってくるので準備をします。




ウシュンメ(海水で洗ったお米)を団子にふりかけます。



清水集落のみなさんが、容器を持参してミキを受け取りにきました。
この日は日曜だったためか、例年より人が多く集まったよう。




用意した30リットルはあっという間になくなりました。
このミキは、サツマイモ・米などを材料にした発酵飲料。



ミキと一緒に神前に供えた団子も一緒に配ります。


神前に供えたお米と、お塩も小分けして
集落の人々に分けていました。

清水のかたがたは、特にこの塩を魔除け・お清めのものとして、
とても大切にしています。

出かける時に少しずつなめたり、
また車の中に入れたり、遠出する時はタイヤにふりかける。
何か悪いことが起こったら触ったり。

少しずつでも分けて、都会に住んでいる子どもさんにも送って、
お守りとしてもたせたり、
アパートを借りる時にまいたりもするそうです。





豊年祭は多くの人が参加できるようにと、
旧暦8月15日前の土日に日にちをずらして開催することがありますが、
このティーヤは、平日であろうと旧暦9月6日に必ず行います。

それは、旧暦9月6日が、「ここの神さまの誕生日だから」と集落のかた。


旧暦9月9日に「グンギン祭り」として、
集落を見守る山にあるグンギン(権現)さまにミキを持参し、
家族の健康と安全を祈るという行事は
奄美大島内や瀬戸内町でもよくあるのですが、
ソテツの葉を供えるのは珍しいようです。


清水ならではの行事で、
「ヒヨヒヨ」という唱え、
供えるソテツの葉は1000本。

集落のかたにとっても謎が多いままですが、
「ティーヤは、清水だけの伝統行事」と誇りを持っていらっしゃいます。

清水集落に住んでいるわたくしも、
この行事に参加。
みなさんが大切にしている清めのお塩、
1年間、自分を守ってくれる大事なものとして使わせていただきます。




2012.10.20・21 (旧暦9月6日・7日)
瀬戸内町 清水



S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内



  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 16:50Comments(0)旧暦の行事

2012年10月27日

奄美の伝統民具 テル(竹の入れ物)作り 動画

瀬戸内町 文化遺産活用実行委員会では、
貴重な文化遺産を写真だけでなく、
動画で残していこうという事業もおこなっています。

今回は、2012年の3月に撮影された
テル作りをダイジェスト版にしましたので、ご覧ください。

教えてくださったのは、民具工芸作家の永田明正さん。
7月には、図書館・郷土館のイベントでテルづくりの講師をしてくださいました。

テルとは、畑で芋を入れて運搬したり、
海でとった魚を入れておく竹製のカゴのことです。

大きさによって呼び方も変わり、
ここでは、野菜入れに使う大きな50斤(30kg)はいる入れ物をテル、
魚用の小型の入れ物をイベラクと呼ぶこともあるようです。
本土はではビク(魚籠)といったところでしょうか。






テルを作る過程は以下のとおりです。

●竹の採取

作るものにあった竹を選んでいきます。

同じ種類の竹でも使いやすいものと使いにくいものがあるとのこと。
さらに使う竹の種類によって新竹から数年ものまで変えるようです。



●竹を割る 

竹を十字に木を組んだ道具で4つに割ります。

その後、さらに3つから4つに割って四角い細い竹の棒を作ります。



●竹を割いて竹ひごを作る

青い外側と白い内側をナタを入れて分けていきます。

内側にある竹の節は先に落として平らにしていました。
私も割かせてもらいましたが、全く厚さが均等にならず・・・。

見てると何気なく割いていくのですが、ほんとうにすごい技術ですね。

ちなみに竹ひごは、当日でないとが乾燥して曲げられなくなるので、
テルを作りながら足りない分を作っていきます。



●底を組む

外側と内側を一組として、底と側面の縦になる竹をひいていきます。

色が綺麗になるように中心側を白、外側を緑に。
テルイベラクによってサイズが違うので、底に置く本数が変わります(動画はイベラク)。
縦と横に同じ数だけ十字にして重ねていきます。



●脚を作る

底の縁から脚になる竹ひごを入れていきます。

半周行くともう一本竹ひごを入れます。それで2本にして縦の竹ひごを挟むよう入れていきます。
脚の立ち上げが全行程の中でも大変なところです。
ちょっと無理やりやっているようにみえますが、
竹は割れない絶妙な力加減です。



●側面の立ち上げ

脚ができると、あとは側面を淡々と作っていきます。



●腰に当たる曲線を作る

側面がある程度立ち上がると、
背中に担いだ時に腰に当たる曲線をつくります。

この曲線が感動するほど美しいですよ。



●縁を作る

本体の最後は、入り口の縁を曲げて止めていきます。
ひごを折りたたみながら綺麗に入れていきますね。



●足の強化

脚は形づくられていますが、
このままだと擦り切れたりするので、竹とヒモで補強します。

これは交換できるので、摩耗してきたらこの部分だけ作り変えることができます。
ものを大事にする昔の人の知恵ですね。



●耳の作成

担ぐためのヒモを通すみみを作ります。



●縁の強化

最後に縁もばらけないように、ヒモを巻いて強化します。




これで完成!

永田さんが実際に作られた時間は4時間程度です。
淡々と作りどんどんできていきました。
ここで使用した道具はほとんどが永田さんの手作りです。

テルは瀬戸内町立郷土館に現物があるので、機会があれば見に来てください。
また、集落によっては、普通に使われている方々もいらっしゃいますので、
奄美のかたは自分の住んでいる集落で見ていただければと思います。

最後に
動画を見て作ってみたいと思っても、
なかなか作れるものではなさそうです。

私も少し体験でしましたが、最初の竹ひごすら作れませんでした・・・。

永田さんにはテル作り教室をしてもらうようにお願いしてあります。

またできる日が決まりましたらアップしますのでぜひご参加くださいね。







2012.03
瀬戸内町


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 17:21Comments(0)民俗

2012年10月26日

芝 相撲甚句の動画

先日紹介しました加計呂麻島、芝の豊年祭・敬老会で披露される
相撲甚句の動画です。

説明はこちら→芝の相撲甚句





「 芝の相撲甚句 」

一.

エー 揃た揃いました
相撲取り衆が揃た
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

エー わしが相撲とりゃ
馴染みが嫌うヨー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
馴染み嫌うな 言うて聞かそ

相撲取りこいつと言うものはーアー

油のような酒を呑み
水晶のようなご飯食べ
エーいたちの毛のような煙草吸い
芸者舞妓を肌にして エー

好きな相撲取りゃ ヨーホエエー
やめらりょかヨー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
汽車が通れば 田んぼ道
ニワトリかかえてキャッキャと啼かせて
けっこうなもんじゃい もんじゃい



二.

エー 芝の景色をちょいと眺むればヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

高鉢山を腰に掛け
東の入口 大江岬
西の入口 立神で
向こう見渡す花天字ー

発動機船もヨホエー
エー絶え間なくヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

三弦間口の鍬よりも
良い鼻持ったが
一生の得じゃい得じゃい




三.

今度 この節 漁業についてヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

芝の漁船は平祐丸 
脇田丸には豊島丸

いずれ劣らぬ若人が
今日も旗々 明日も旗

釣り込む 鰹はヨー ヨホエ
エー 金の山よ

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
親方さんは二号も三号も持ったか
一生の得じゃい 得じゃい

(※二号、三号は船のことを読んでいる)



四.

エー あまり長けりゃー 
お客のおじゃまよー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
これで止めましょう 止めましょうか

またの折をば楽しみにー
どうぞごひいきにヨホエー

エー願いますヨー
トコドスコイ ドスコイ







2012.10.7
瀬戸内町 加計呂麻島 芝



S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内

  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 09:04Comments(0)加計呂麻島

2012年10月24日

芝 相撲甚句 豊年祭・敬老会後編

加計呂麻島、芝の豊年祭・敬老会
さまざまな演目を楽しみ、
最後は、一番の呼び物「相撲甚句」の登場です。

ヨイヤー! ヨイヤー! ヨイヤー!
ワイドー! ワイドー! ワイドー!


化粧まわしをつけた女性陣が入場してきます。



相撲甚句とは、土俵の回りや上で力士が円陣を組み、
独特の節回しと歌詞に合わせて
勇壮な踊りを披露するもの。

瀬戸内町では、古仁屋豊年祭や阿木名豊年祭で
相撲甚句が歌われているのですが、
芝は、なんと女性陣だけで踊られています。







芝の相撲甚句は、
芝ならではの地名や景色、
カツオ漁のことなどを歌っていて
とても興味深いもの。




女性による相撲甚句は、九州でも宮崎や佐賀、
鹿児島の大隅などに伝えられており、保存会が結成されているところも。

芝にこのような芸能が伝わった経緯としては、
明治期以降の一時期に、
大島・加計呂麻のいくつかの集落でカツオ漁業が盛んに。
そのなかで人との交流があり、
本土系芸能(棒踊りなど)が島に入ってきたのではないか、との説があります。





「 芝の相撲甚句 」

一.

エー 揃た揃いました
相撲取り衆が揃た
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

エー わしが相撲とりゃ
馴染みが嫌うヨー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
馴染み嫌うな 言うて聞かそ

相撲取りこいつと言うものはーアー

油のような酒を呑み
水晶のようなご飯食べ
エーいたちの毛のような煙草吸い
芸者舞妓を肌にして エー

好きな相撲取りゃ ヨーホエエー
やめらりょかヨー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
汽車が通れば 田んぼ道
ニワトリかかえてキャッキャと啼かせて
けっこうなもんじゃい もんじゃい










二.

エー 芝の景色をちょいと眺むればヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

高鉢山を腰に掛け
東の入口 大江岬
西の入口 立神で
向こう見渡す花天字ー

発動機船もヨホエー
エー絶え間なくヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

三弦間口の鍬よりも
良い鼻持ったが
一生の得じゃい得じゃい











三.

今度 この節 漁業についてヨー
(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ

芝の漁船は平祐丸 
脇田丸には豊島丸

いずれ劣らぬ若人が
今日も旗々 明日も旗

釣り込む 鰹はヨー ヨホエ
エー 金の山よ

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
親方さんは二号も三号も持ったか
一生の得じゃい 得じゃい

(※二号、三号は船のことを読んでいる)








四.

エー あまり長けりゃー 
お客のおじゃまよー

(ハヤシ)トコドスコイ ドスコイ
これで止めましょう 止めましょうか

またの折をば楽しみにー
どうぞごひいきにヨホエー

エー願いますヨー
トコドスコイ ドスコイ







お気づきになられたでしょうか?
この化粧まわし、実はお米の袋を裏返しにしたものを使っています。
自分の名前をもじったり、趣向を凝らした絵を描いたり。
これを見るのも楽しい。



出演した婦人会のみなさん。大役を終えて、ホッ。
余興の練習、準備、そして相撲甚句と大活躍です。



敬老会代表挨拶、閉会宣言、万歳三唱で、
今年も無事に芝の豊年祭敬老会は終了しました。



集落の人々も、観客のみなさんも
そこにいるみんなで八月踊り。



中学生もちゃんと踊ります。
「簡単ですよー」と踊りを教えてもらいながら、
私も見よう見まねで参加。


みなさんリズム感がよく、
複雑な踊りをかろやかにこなしているのです。



話は前後しますが、豊年祭・敬老会ではお祝いの寄付をすると、
お弁当や飲み物などの接待を受けられます。
席を準備していただき、じっくりと楽しめるのでおすすめです。


おつまみ?のモッカ(パパイヤ)の漬物が絶品でした!
おみやげにもたくさんいただき、その後も食事のお供に。



片付けなども終了し、
夕方5時半に帰りの海上タクシーが古仁屋方面へ出発。



みなさんお元気でーー!



芝集落関係者のみなさん、
「バッケバッケ」、そして「豊年祭・敬老会」と2日間大変お世話になり、
とても楽しい時間を過ごせました。

ありがとうございました!





参考文献:「芝の相撲甚句 」町 健次郎 (雑誌『ホライゾンvol.35)


2012.10.7
瀬戸内町 加計呂麻島 芝



S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内





  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 13:12Comments(0)加計呂麻島

2012年10月23日

クガツクンチ / 旧暦9月9日

本日10月23日(火)は旧暦9月9日、
クガツクンチ」です。

「グンギン(権現)」と呼ばれる集落を見守る神さまを祀り、
3日ほど寝かせたミキ(米、サツマイモ、砂糖などが材料の発酵飲料)を供える集落、
八月踊りの踊り納めをする集落などがあります。


また加計呂麻島、諸鈍集落では大屯神社祭が開催され、
伝統芸能「諸鈍シバヤ」が披露されます。

この諸鈍シバヤは、源平の戦いに敗れた平資盛が
地元の人々と交流するために広めたと言われるもの。

紙面(カビディラ)をつけた男性陣が
舞や棒踊り、寸劇など11演目を演じます。

ヤマトと琉球文化の影響が見られる貴重な伝統芸能で
国の重要無形民俗文化財に指定されています。

ユーモラスな場面や迫力ある踊りなど見ていて飽きない内容。
ぜひ一度ごらんください。


アクセスなどはこちらをご参考ください → 瀬戸内町観光協会ブログ


奄美大島全体でもクガツクンチのさまざまな行事があるようで、
にぎやかな一日になりそうです。

お天気が回復しますように!
  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 09:48Comments(0)旧暦の行事

2012年10月19日

芝 豊年祭・敬老会 前編

「バッケバッケ」の翌日、
「豊年祭・敬老会」を見に、ふたたび加計呂麻島の芝へお邪魔しました。

この日は古仁屋からも多くの出身者・関係者が海上タクシーで芝へ。


43世帯、人口80人の芝。
この日は、どんどんにぎやかになっていってます。

会場のミャー(広場)の入口に歓迎の横断幕。
こういうのは、嬉しいですね。



午後2時に開始です。



まずは「振り出し」で青壮年、婦人会、子ども会のみなさんが入場。



芝では女性が力飯(ちからめし)を運ぶんですね。
私の住む集落では、男性がサンバラ(竹製の浅くて大きなザル)に入れて持ちます。
集落によって違って面白いですね。



奉納相撲



力飯を会場のみなさんへ配ります。
このおにぎりをいただくと、「一年健康に過ごせる」ということで、
必ず一つはいただかないと。



小中学生の相撲が始まります。
こんなに小さくても立派な力士!



3対1相撲。
お兄さん、やっぱり強し!



「薩川太鼓」です。
薩川小学校、薩川中学校のみんなで
週に2~3回は練習しているそう。


初めて聞きましたが、バチさばきも上手で迫力ある演奏。
みんなが一つになっているのが分かる動き。 

低学年も、いつもと表情が違います。



聞いていて清々しい気分になりました。
素晴らしかったです!



「薩摩太鼓」。
婦人会のみなさんは、どこの集落でも準備に余興にと大忙し。



敬老会のみなさんへ記念品贈呈です。
芝では、男性10名、女性24名がめでたくこの日を迎えました。
みなさん、いつまでもお元気でいてください。



敬老のみなさんに感謝の気持ちを表し、
楽しんでもらうための催しがたくさん繰り広げられました。


薩川中学校の生徒、先生による「薩川 安来棒踊り」。


♪アラ、エッササ~ のかけ声とともに、
2本の棒を使ってリズミカルに手技を見せてくれます。
下に板が敷いてあるので、棒が当たる音が小気味よく響きます。



この安来棒踊り、島根県の安来節から伝わったようです。
「銭太鼓」というものを見つけてびっくり。


島根のかたもこんな南の島で自分たちの芸能が伝わってると知ったら
とても嬉しいでしょうね。




敬老の方のお孫さんがフラダンス。
優雅で美しい踊りに、みんなうっとり。



瀬戸内町はフラダンスがとても盛んです。
こんな小さな踊り手さんも。立派に踊ってましたね~。



敬老のみなさんも笑顔。



芝の老人会のみなさんも「月の白浜・磯の松風」を披露。
お花がカワイイ。



中学生による「おちゃめ」。衣装もバッチリです。






今回余興のなかで個人的に一番衝撃だったのはこれ。



プログラムには載っていなかったので演目は分かりませんが、
きゃりーぱみゅぱみゅ?の音楽にのって
なんともいえない踊りを。


子どもも立ち止まって、見入ってます・・・。



敬老のみなさんも気に入ってくださったかな?



衣装も細かいところまでバッチリ、踊りも完璧、終始このキャラクターに徹し、
まったく素のところを見せないのです。
シマッチュの余興魂を感じました(これが年月を経ると、伝統仮面芸能になるのでしょうか?)。



「芝の豊年祭に欠かせない」と紹介されていた日本舞踊の豊島さん。



琉球舞踊も踊れる中学生。



ここで、一緒にいた学芸員のマチ博士がひと言。
「まさにこれが『奄美』を象徴する風景だよ」。

「土俵という『ヤマト文化』、琉球舞踊という『琉球文化』、日の丸という『国民文化』、すべてがある」と。




そしてサプライズ!
子ども達が歌いながら登場です。
♪ バ~ッケ、バッケ トゥーティブリ ムレガド キャーオーッタスカ~ 



前の晩にあったバッケバッケを再現してくれました。



敬老のみなさんの前でご挨拶。



六調を踊って、さらに会場を盛り上げます。



芝集落には子どもは中学生の2人。
この日も校区である薩川小学校と薩川中学校に通う子ども達が
会場がひときわ賑やかにしてくれました。




このあと相撲甚句、八月踊りへと続きます。





2012.10.7
瀬戸内町 加計呂麻島 芝



S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内



  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 11:44Comments(0)加計呂麻島

2012年10月17日

芝 バッケバッケの動画

昨日紹介した瀬戸内町、
加計呂麻島の芝の行事「バッケバッケ」の動画をアップしました。

暗闇の中の松明の灯りや響くチヂンの音、
子どもたちの歌声。

より雰囲気が伝わると思います。
どうぞご覧ください。




 ♪ バ~ッケ バッケ トゥーティブリ ムレガトゥ キャーオタッスカ

   アタラシャンティム クリッタボレ

  ~(囃子) アラドンドンセ アライクシャンセ~



< 歌詞の意味 >

 ♪ おばさん おばさん カボチャを もらいに 来ましたよ。

   もったいなくても くださいな





2012.10.6
瀬戸内町 加計呂麻島 芝

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 11:00Comments(0)加計呂麻島

2012年10月16日

芝 バッケバッケ

10月6日(土)、豊年祭前日の夜に
加計呂麻島の芝(しば)集落へ向かいました。

お目当ては、伝統行事の「バッケバッケ」。



以前勤めていた職場で一緒だった芝出身の女性が
「うちのシマでは、子ども達が夜にお菓子をもらって回る
ハロウィンみたいな行事がある」と聞いていて、
ぜひ一度見たい!と思っていた行事でした。

台風の被害でいたるところが通行止めの加計呂麻島。
この日は古仁屋港から海上タクシーで直接、芝へ。



午後7時。
芝の港に着くと、
暗闇の中から「ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン」と、
チヂン(太鼓)の音が響いてきました。




集落の道を、チヂンを叩く人や松明を持った人が先導し、
子ども達は、歌をうたいながら歩いて家々を回っていきます。




 ♪ バ~ッケ バッケ トゥーティブリ ムレガトゥ キャーオタッスカ

   アタラシャンティム クリッタボレ

  ~(囃子) アラドンドンセ アライクシャンセ~




歌詞の意味は

 ♪ おばさん おばさん カボチャを もらいに 来ましたよ。

   もったいなくても くださいな


なんと歌詞に「カボチャ」というフレーズが!
まさにハロウィン?かと思いきや、
実はこの行事の成り立ちからきています(それは後ほど)。

あと「バッケ」は「化け物」の意味かと思ってましたが、
「おばさん」の意味だったんですねー。




目的の人の家に着いて、
玄関口や庭先などでさらに歌います。







そこで、チヂンのリズムは激しくなり、
みんなでいっせいに六調を踊ります。





そうすると、家の中から人が出てきて、
準備していたお菓子を子ども達にくれるのです!







子ども達は一斉に「ありがとうございましたーー!」と元気な声で言い、
また「♪バ~ッケバッケ、トゥーティブリ ムレガトゥ~」と
歌いながら次の家に向かって行きます。


約2時間、芝の43世帯(人口80人)ほぼ全部をくまなく回って、
袋いっぱいに、どんどんお菓子がたまります。




このバッケバッケは、もともと旧暦八月初丙のアラセチ前夜に行うものでした。



かつては人が多かったため、
イルイ(西)、アガレ(東)の二組に分かれて、大人が各家を回り、
歌詞のとおりカボチャやお米などをティル(竹製の籠)に入れて集めたのだそうです。
集めたものをその晩中に料理して、次の日の豊年祭に出して豪華さなどを競っていました。



それが人口減少などいつの間にか、
子どもが主役の行事となったよう。


現在区長をしていらっしゃる橋口さんが子どものころも
すでにお菓子をもらう行事だったとか。



なんと今年は、橋口区長さんが子どもの頃にやっていた
クバ(和名:ビロウ)の葉っぱでお面と腰ミノを作って
仮装したバッケバッケを40年数年ぶりに復活。



仮装した子ども達が、なんとも可愛らしかったです。




集落のみなさんたち、大人も子どもも
バッケバッケを本当に楽しみにしているのがよーく分かります。


迎える家の方々がみんなニコニコ。
子ども達が六調を踊るのを本当に楽しそうに見ています。

子ども達が見えなくなるまで
チヂンを叩いて見送るかたも。


この芝集落にいる子どもは2人。
中2のあゆみちゃんと、中1のまなみちゃんだけ。

いつもは他の所に住んでいる芝出身者も子どもを連れて来るそうなのですが、
今年は道路事情が悪いために、
子どもの参加人数もいつもより少なかったようです。



それでも、薩川小学校・薩川中学校の9名(2名は道路が通行できず来れなかったそう)が参加。
いつもは静かな集落に子どもの声が響いていました。




最後は公民館に集合。
ここでまた歌い、六調を踊って〆。



さぁ! お待ちかね。
集まったお菓子をみんなで分けます。



リーダーは中学生のお姉さんたち。

お菓子の山を目の前に、
男子は、じっとガマン。



子どもにとっては「夜遅くまで起きてられる!  お菓子がいっぱいもらえる!」と、嬉しいことづくし。

芝を離れて暮らしている出身者も、
「バッケバッケは、ぜひとも自分の子どもに体験させたい」と言う楽しい行事。

こういった思い出が、育ったシマの楽しい記憶となるのでしょうね。



芝集落のみなさん、
薩川小学校・薩川中学校の関係者のみなさん
ありがとうございました!





2012.10.6
瀬戸内町 加計呂麻島 芝



S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内



  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 11:07Comments(2)加計呂麻島

2012年10月12日

西方の小ネタたち

9月27日のシバサシの前日
古仁屋から西古見までの西方(にしかた)エリアの
ほとんど全部の集落を回っていろいろと見てきました。

そこでちょっとおもしろい小ネタがあったので紹介します。


郵便局の自転車

久慈の郵便局で、なんと郵便局仕様の自転車を見つけました。
ハンドルの中央とペダルのチェーンカバー横に
郵便局のマークがちゃんとついています。
すごい丈夫そうな自転車ですね。現役で動いているのを始めて見ました。
なにか雰囲気があっていい感じですね。



トタンを曲げる機械

西方調査の途中、家の軒先に不思議な道具が。
ちょうど家の方がいたのでお話を聞くと、トタンの屋根の山頂を曲げる道具とのこと!
こんな道具があったんですねー。
一度使い方を見てみたいですね。かなり年季が入っており、重厚な作りになっていました。



家の前の砂ひき場

油井のとある家の方の玄関の外に、不思議な木の枠が埋まっていました。
これは何ですかと聞いた所、砂を敷き詰める枠だというのです。
住んでる方も何に使うかわかりませんとのこと。何かの行事につかうものでしょうか?
もし知ってる方がいらっしゃったら教えて下さいー。



桜が咲いていました!

9月末頃に新聞記事にもなっていましたが、
久慈でも桜の花が咲いていました!
春と勘違いしたのでしょうかね。 ちょっと時期はずれですが綺麗でした!



海軍の表札

古志のある家のなかに海軍用地の標識がありました!
手前には古い井戸が。
「おっ、これは大正ぐらいから使ってる井戸では?」と思い、
近くの家にいた集落の方に聞いてみることに。

聞いたところでは井戸と標識は関係ありませんでした・・。
ただ、古志の林道を上がっていくと、山中に用水池と砲台跡があるとおしゃっていました。

どちらも「40年ほど前に山に登った時にみたよー」とおっしゃっていたので、
もしかしたらまだ残ってるかもしれませんね。
今度調査しないと!
ちなみに標識は、当時はその林道沿いにあったとか。
これもまだ残ってるかもしれませんね。


以上、西方の調査で見つけた小ネタでした。
やっぱりあちこち行くと、いろいろと面白いことがありますね。



2012.09.27
瀬戸内町 油井・古志・久慈


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内







  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 17:38Comments(2)奄美大島

2012年10月11日

嘉鉄 豊年祭・敬老会

先日の台風17号ですが、みなさん大丈夫だったでしょうか。
本当に強い風雨でしたね・・。

そんな中でも9月29日(土)、
台風17号が最接近する直前に各地で豊年祭が行われたようです。
(延期や中止決定した集落も多くありました)。

現場監督 水野が住んでいる嘉鉄でも、
29日に豊年祭・敬老会が行われましたので、紹介したいと思います。


スタートは13時でしたが、すでに外は強風が。
外ではできないので公民館の中ですることになりました。

青壮年団は、外でお酒や行事の準備です。
みなずぶ濡れですが、テンションを上げてどんどん準備をされています。
(実は、私は2日前にギックリ腰になり何も手伝えないので写真班に回りました)



まず豊年祭の始まりは挨拶からです。



ひと通りの挨拶が終わると、余興が始まりました。



嘉鉄の豊年祭は、敬老会と合同でおこなっています。
そのため、今回は台風で席があまり準備できないので、中の前半分は敬老席にしてあります。


また正面むかって左側が男性、右側が女性の席となっていました。



今回はあまりに悪天候だったので、土俵行事も公民館の舞台で行われました。
写真は子供の初土俵入りです。
 


これは、今年産まれた男の子にマワシをつけて、
土俵に三回足をつけるというもので、よく泣いたほうが元気に育つといういわれがあります。



そして土俵行事が終わると、子供たちの「稲すり節」です。
いっぱい練習し成果もあり、全員で上手に踊っていました。


子供たちの踊りが終わると、恒例のチカラメシ。

本来、チカラメシを場内に持ってきて配るのはマワシをした力士の仕事。

ただ、今年はあまりの悪天候のため、力士が中に入れなかったので、
法被姿の婦人部の皆さんが配りました。
いつもとは趣が違いますが、色合いが明るくて華があっていいですね。



チカラメシは、一人ひとつ以上もらい、
これを食べることで元気をつけるというものです。


嘉鉄では、おにぎりにハイビスカスを挿して飾っています。
これは地域によっては花を添えるなど、飾り方が違うようですね。



そして最近嘉鉄で復活させた鎌踊り。 
鎌踊りは本来は10人制ですが、舞台が狭いため6人に。


私も出演予定でしたが、腰と人数の問題で写真を撮っていました。


今は作り物の鎌で踊っていますが、昔は本物の鎌でやっていたとか!

そのためケガ人が多かったので、やめてしまったという話があります。
練習で何度も木の鎌が手に当たります。
本物の鎌でやったらと思うとぞっとしますね・・。


余興の最後は、婦人会多数による踊りで締められました。
法被をきて大人数で踊るので、明るくていい感じでしたね。


例年、外でやっているときは、戦後からやっているソーラ釣り踊りがありますが、
今年は取りやめになりました。残念!


最後は島で、いろいろな会などの締めの時に、
みんなで踊られる六調です。

青壮年や婦人会がどんどん出て、最後は敬老の方々も踊られました。
何度見ても皆さんの手の動きはすごい滑らかで綺麗ですね!



これですべての内容が終わり、最後にバンザイ三唱で締められました。


台風直撃の直前の豊年祭になってしまいましたが、
参加された敬老の方々が楽しかった!と笑顔で帰られたのでよかったです。

終了後には片付けをして、短い打ち上げが行われました。
外にいらした方々は、みなずぶ濡れになっていましたが、なんとか無事やりきった感じがありましたね。



今年は腰痛のため、ほとんどなにも手伝えませんでした・・。
来年は体調万全で参加したいと思います!






2012.09.29
瀬戸内町 嘉鉄


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内













  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 10:26Comments(0)旧暦の行事

2012年10月09日

西古見 豊年祭

9月23日(日)、
瀬戸内町の大島側の最西端にある、
西古見(にしこみ)集落の豊年祭に参加してきました。

最初は西古見の豊年祭実行委員会のご挨拶からです。


その後、敬老のご挨拶やお礼がありました。



そして恒例の、余興の開始です。
今年は名瀬で郷土料理「かずみ」をされている西 和美さんがシマ唄を歌ってくれていました。



かずみさんも西古見出身で、
いつからかわかりませんが、豊年祭には唄を歌いに来られているようです。






婦人会の踊りもありました。皆さんお上手ですねー。




敬老会の方々は、いろんな歓談しながら余興を見られています。



近年、残念ながら相撲をとれる人が少なくなったので、相撲はなくなってしまっています。
それでもちゃんと集落の人から塩を集め、土俵のお清めとチカラメシはおこなわれています。



ここでおもしろいハプニングが!
集落の若手の方が、海を見に行ったらなんとタコが泳いでいると!
早速海に入り取ってこられました。







このタコはすぐに調理され、あとから行われた二次会で集落の方々と美味しくいただきました。
地域に根づいた昔ながらの地先利用でおもしろいですね。

夕方には全て終わり閉会となりました。
(すみません、タコ料理に付き合っていたら終わっていたので写真がありません・・)


その後、軽く片づけをして、二次会です。


二次会では雨も上がったので、舞台前に席が作られました。
集落の豊年祭実行委員会の皆さんです。

皆さんお元気で、次から次へと歌い、舞台で踊られました。



最終的に夜の8時前までカラオケ大会が行われました。
そのあとは片付けをして無事解散しすべて終了です。


ここは、現場監督 水野が奄美に来て、初めて住んでお世話になった集落です。
残念ながら当時居候させて頂いた家の方々はもういらっしゃいません。

それでも、まだ当時からお世話になっている集落の方々は健在なのでよかったです。
これからもいろんな行事や活動が残っていけばいいですね。



2012.09.23 
瀬戸内町 西古見


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 09:56Comments(0)旧暦の行事

2012年10月07日

網野子 シバサシ

アラセチから7日後の
9月28日(旧暦8月ミズノエ)の「シバサシ」の日。

大昔の祖先の霊と思われるコソガナシ(高祖様)を迎えるとともに、
その名のとおり、
シバ(ススキ)を家や田畑の四隅に挿す行事があります。

その様子を見ようと、
網野子(あみのこ)集落へ朝9時前に行ってみました。



シバを挿すことで、
家を清め魔除けとなり、
田畑などは、害虫予防や病気などが発生しないように、と願いが込められています。



シバを挿す以外にも魔除けとして
子ども達が桑の木の皮を手首と足首にくくって八月踊りをしたり、、
ニンニクの首飾りを首にかけウッチュグワ(先祖)に連れて行かれたりしないようにしていた時代もあったとか。





集落内を歩いていて出会ったおばちゃんに
シバサシの時はどのようなことをするか話を聞いたところ、
前日には門口でワラなどを燃やして、お墓参りし、
仏壇にミキと水をお供え(料理などはお供えナシ)。

以前は、チカラグサでネブックワ(ひしゃく)を作り、
シバサシ当日に朝起きたら、
仏壇にお供えした水とミキをそのネブックワで混ぜる。
ただ今は普通のスプーンでまぜているとのことでした。
あとは、家の四隅にシバを挿しているそうです。



昔は茅で屋根を葺いており
シバを挿しやすかったため「シバサシ」をする家庭も多かったようですが、
現代の鉄筋コンクリートの形態となり、
この行事をするところも少なくなったようです。



ですが網野子集落では歩いていると、
「あっちも! こっちも!」と
予想以上にススキを挿している家が多く驚きました。

みなさん、なんとか四隅にすき間を見つけています。



今までシバサシを意識していなかっただけで、
実は自分の住んでいる集落でもやっているのかもしれませんね。
(と、言いながら朝に自分の集落を見る余裕がありませんでした・・)。

来年は気をつけてシバサシを探してみようと思います。




参考文献「瀬戸内町誌 民俗編」




2012.09.28

瀬戸内町 網野子

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 10:38Comments(0)旧暦の行事

2012年10月06日

久慈・嘉鉄 シバサシ前日

9月27日(木)、瀬戸内町内のシバサシを調べてみようと、
広報Kは加計呂麻島へ
現場監督Mは、本島側の西方地区(須手から西古見まで)とふた手に分かれました。


最初、シバサシの前日に軒下にシバ(ススキ)を挿すと思っていたのですが、
古仁屋を出て須手から西方面のすべての集落を見ていきましたが、
どの集落を見てもさしてません・・。

もうやっていないのか?と思ったら、
挿すのはシバサシ当日とのこと。勘違いでしたね(笑)


集落や家によって違いがありますが、
門口で藁などを燃やすのは、主にシバサシ前日のよう。

久慈から西古見にかけてはかなりの数の家でしているようです。

久慈で見させてもらったところでは、
燃やすものは、藁、もみ、力草(オヒシバ)。






また、久慈内で、もみの代わりに稲穂をおいてあるところもありました。



大島側の西方では話を聞いた感じだと、前日の夕方に燃やすようです。



夜戻ってきてから、嘉鉄の知人宅でシバサシの供え物を見させてもらいました。
供えるものはサトウキビ、ミカン、おじやです。
 


以前は縁側とかにお供えしてましたが、現在では仏壇に供えるとのこと。

ちなみに嘉鉄では昭和30年ごろまでシバを家に挿していましたが、
茅葺きの屋根がなくなり挿す所がなくなったのでやめたということです。

藁はどうしてるかと聞きましたら、
正月のしめ縄の一部をシバサシ用にとっておくとのこと。

正月から秋のためのものをとっておくって、
すごい生活の知恵ですね。



2012.09.27

瀬戸内町 久慈・嘉鉄

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 14:40Comments(0)旧暦の行事

2012年10月04日

諸鈍 シバサシ前日 

9月28日は、旧暦8月13日ミズノエ。
この日は「シバサシ」と呼ばれる日でした。

旧暦8月初丙のアラセチから7日後で、
お盆同様に、あの世から霊を迎える行事があります。


瀬戸内町でも中心部の古仁屋では、ほとんど見られなくなりましたが、
加計呂麻島の鎮西地区では、
シバサシをやっているところが多いとのこと。

そこでシバサシの前日に
加計呂麻島の諸鈍(しょどん)、渡連(どれん)、生間(いけんま)集落の様子を見に行ってきました。


こちらは、諸鈍のMさんのお宅。
お昼13時ごろに伺うと、門のそばで何かを燃やしていました。



ワラヒントウ(藁を3、4本束ねて折り曲げたもの)に、
スクブ(籾殻)、チカラグサ(和名:オヒシバ)を一緒にして、
火をつけて煙をだしてくすぶらせていたところ。



旧盆で迎えるのは、祖父母や高祖父母など自分に身近な祖先の霊。


それに対してシバサシは、コスガナシ(高祖様)を迎える日。

コスガナシとは、顔の知らない、ずっと大昔の人や三十三年忌を済ませた霊、
または海で亡くなった人の霊などのこと言うそう。

コスガナシは、海からやってくると信じられており、
濡れていて寒いので
まずは家の入口で体を暖めるために
このようにワラなどを燃やして迎えるのです。


この門口でワラを燃やし煙を出すのは、
コスムケと呼ばれています。

このあたりでは、シバサシ前日にコスガナシを迎え
シバサシ当日には送るとのこと。




体を暖めた霊がすぐにご馳走が食べられるようにと、
玄関口で外に向けてお供えを並べていました。

線香を3本立てて、
これを3回繰り返すとお供えはさげます。



左のお膳には、魚や里芋のニムン(煮物)、団子、赤飯、魚の汁ものなど。
魚は骨の多い魚、赤い魚は使ってはいけないそうです。
ワラで作ったお箸も添えてあります。



右のお膳には、サトウキビ、ミカン、お茶、お酒、お水。
こちらの膳だけは、次の日のシバサシ当日にもお供えします。


一番手前に写っているワラで作ったネブッグワ(柄杓)を
諸鈍など加計呂麻島の鎮西方面では供えます。

請島では、人型のワラ人形「ウッチュグヮ」を供え、
翌日には「ヤネマタウモレヨ(来年またいらっしゃい)」と言って屋根に投げる。

また与路島では、4本足の馬型のワラ人形「ウマッグヮ」を供え、
夕方に馬の足をあぶって屋根に投げるそうです。


諸鈍集落を、門口に気をつけながら歩くと、
何軒かコスムケをやっているところが。



スクブ(籾殻)がたっぷり。



石を乗せて飛ばないようにしているお宅もたくさんありました。




門口でワラを燃やすコスムケをしているお宅で話を伺うと、
「最近は、スクブ(籾殻)が手に入らなくてね~」とのこと。

諸鈍は、瀬戸内町でも数少ない稲作を行なっているところ。

諸鈍周辺の加計呂麻島の鎮西地区で
コスムケの行事が残っているのも、
稲作をまだやっていることと関係があるのかもしれませんね。




昔は、シバサシ前夜から当日の夜には
夜明かしで家々を回り、
八月踊りもしていたそうです。


『瀬戸内町誌 民俗編』によると、

「このシバサシ行事は、奄美の基層的な行事だと見ることができる。
シバサシとお盆は祖先礼拝的な面で共通するところが多く、
奄美本来のお盆行事はシバサシであったと考えられる」

とのこと。

島に住んで9年目、
初めてこのシバサシを見ました。

目には見えない、
自分が直接知らない大昔のご先祖コスガナシや
海の神様をこのように迎える行事を
シマの人々が昔から継いできたことに改めて驚きました。




2012.09.27

瀬戸内町 加計呂麻島 諸鈍

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内






  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 14:46Comments(0)旧暦の行事

2012年10月03日

嘉鉄 ヤマワリ(家回り)

旧暦8月初丙(今年は新暦9月22日)は「アラセチ」と呼ばれ、
「新しい節」の意味で正月にもまさる重要な日。

瀬戸内町ではハレの日として、豊年祭をしたり、
新築の家を祝う「ヤーユワラシ(家祝い)」や「ヤマワリ(家回り)」をし、
集落の人を招待し飲食をしながら、
八月踊りで祝う習わしがあります。


  *     *


9月22日、嘉鉄(かてつ)でアラセツに行われるヤマワリ(家回り)がありました。

現在のヤマワリは、新築の家や新しく引っ越して来られた方の家を踊り歩いて、
お祓いとお祝いをするというものです。

今年は新築がなかったので、
嘉鉄小学校の新任の校長先生の家のみとなりました。

ちなみに昔は何日もかけて全部の家をまわってた時代もあるそう。
地域によって形式やまわり方が違うようです。



先日聞いた西古見(にしこみ)集落の話だと、
全部の家を回っていた時、家が多いので二班に分かれ、
山側の道路と海側の道路を同時にヤマワリしたそうです。

ヤマワリは豊年祭の前日に行い、
樽(瓶?)を持って各家から数合ずつお酒をもらい、夜通しで家を回って、
そのまま翌日の豊年祭にお酒をもっていったとのこと。
いろんな方式がありますね。



さて今年の嘉鉄のヤマワリですが、
まず、公民館に16時に集合しました。

始まる前には、婦人会の方々が唄の復習をしていました。 




そして、時間になると
お酒とヒムン(干し魚を焼いたもの)でお清めです。



一人一人清めが終わったら、
大きな円を組んでみんなで踊りはじめました。



ここでは唄と踊りを数曲行いました。



中には子供も参加しています。踊ってると言うよりは遊んでいましたが(笑)。



始まりの踊りが終わると、
次は今回のヤマワリの向かう先、校長宅へ移動です。

移動中も太鼓をならし、踊りながらの移動でした。




そして、校長宅の入口近くまでいくと、ここでお迎えする人が登場します!

お迎えする人は手招きし、
後進しながら踊ってヤマワリの人々を迎え入れます。



迎えられるほうは太鼓に合わせて手を叩きながら、
少しずつ前進して行きます。



この踊りをづつけながら、
最終的には校長宅の庭に当たる場所まで招かれます。

庭までくると、そこにはお酒とヒムン、料理などがおいてありました。
まずお酒とヒムンを頂きます。

そして、みんなで庭を囲んで踊ります。



何曲か踊ると、料理とお酒タイムです。
今回は家の中では踊りませんでした。



本来は一戸建ての家の場合、
外で踊った後に家の中でも踊り、料理が振る舞われます。


休憩した後は、また数曲歌いながら踊りました。
最後は招いた人がお礼を言い、みんなで太鼓と手拍子を打って自宅での行事は終わりです。




最後に公民館に戻り、締めの踊りをしてすべて終了。



今回は1軒しかなかったので2時間弱で終わりました。
私も一緒に踊りましたが、唄がわからず・・。

また機会を見つけて唄もおぼえていきたいと思います!





2012.09.22 瀬戸内町 嘉鉄




S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M


鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内




  


Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 13:30Comments(0)旧暦の行事