2013年01月23日
与路島 散策 ・サンゴの石垣
瀬戸内町の南にある、
与路島(よろじま)へ行ってきました。
今回も、瀬戸内町役場まちづくり観光課が主催する
「第4回 島案内人育成講座」に同行させていただきました(第3回の須子茂集落散策→こちら)。
瀬戸内町は、奄美大島部分と、大島海峡を間に挟んである加計呂麻島、
そして請島、与路島があります。
【 瀬戸内町の全体地図 】 こちらをご参照ください(瀬戸内町観光協会サイト) →http://www.kyurajima.com/sites/default/files/img/page/20110427_2.pdf
与路島は、奄美大島の古仁屋から海上35km、
町の「定期船せとなみ」だと、請島を経由し約1時間30分(直行便だと50分)。
この日、受講生は古仁屋から海上タクシー(貸切船)で直接与路島へ行く組と、
加計呂麻島の受講生と合流するために、いったん加計呂麻島を経由する組に分かれました。
冬は外洋が荒れ、夏は台風などで、
定期船せとなみは欠航になったり、抜港や条件付き運航になる日も多く、
そういった時は、加計呂麻島を経由して行く”中渡し”という方法で与路島へ行くこともできます。
中渡しでは、古仁屋港から加計呂麻島の瀬相港へ一旦渡り、
車で移動し伊子茂港へ。そして伊子茂港から与路港へ。
▲中渡し組は、伊子茂港で乗り換え
中渡しのルートは外洋を通るのに比べ穏やかなはずですが、
この日は波がけっこうあり、ちょっとスリリングな船旅に。
古仁屋から与路島までは、
加計呂麻島経由の中渡し組で約1時間、
外洋回り直接組(請島のジャナレ島回り)で約1時間20分でした。
与路島・請島のかたがたは、悪天候で船が欠航して家に戻れなかったり、
長く物資が入ってこなかったりと
海の状況に直接左右されるなか暮らしていることに、
同じ瀬戸内町ながら、本当に大変なことだろうと感じます。
与路島に着くと、この日案内してくださる区長の保島さんをはじめ、
信川さん、中村さんたちが出迎えてくださいました。
待合所には「いーおーちゃーどー」。
「よく、いらっしゃいました」の意味だそうです。
古仁屋ともまた違う言葉で、旅情をかきたてられますね。
まずは港のすぐそばの「クモディ(雲瀬)」へ。
大きな岩のそばに記念碑が建っていました。
かつてノロ神の祭祀であるオムケ(御迎え)・オーホリ(御送り)が
この岩の上で行われたという神聖なところ。
昔は、海の中にあり、ノロ舟のともづなを止めていたそう。
この場所で撮影された1962年の「オーホリ(御送り)」の写真が、
瀬戸内町立図書館・郷土館2階に展示されていますので、ぜひ一度ごらんください。
昔から子どもたちが乗って遊ぶことも禁じられていた聖なる岩、
なんですが・・ヤギがつながれていました。
そして、与路集落の中へ。
与路島は周囲18.4km、一島一集落。
現在、59世帯、人口102名。
大正から昭和30年頃までは1000人を越えていたこともあり、
なんと昭和25年には、222世帯1348名もの人口が!
現在の静かな様子からは想像もできませんが、古仁屋に次ぐ大きな集落だったこともあるそうです。
そして人々を惹きつけてやまない、
与路島ならではの美しい風景「サンゴの石垣」。
奄美群島の中でもこのサンゴの石垣が数多く残っている島で、
情緒があり、とても魅力ある景観。
国土交通省の次世代に引き継ぎたい島の景観として、
島の宝100景の「涼を呼ぶサンゴの石垣」として選ばれています。
▲この4尺(1m20cm)が基本の高さだそう
境界線としての役割、
そして台風などの強風を防ぐ一方、
夏は隙間から涼しい風も運んでくれるサンゴの石垣は、島の暮らしに合ったもの。
小さな島である与路島にとって、
サンゴは塀を作るための貴重な建築資材でした。
しかし、昭和30年代頃からブロック塀が島にも入ってきます。
”その当時”は、
・ブロック塀のほうが風に対する強度が強く、積み直したりする手間もない
・補修も必要がなく半永久的
・ブロックは幅が狭いので、宅地面積が増えてその分活用できる
・サンゴの石垣の隙間にはハブが住み着くがそれを未然に防げる
などと考えられ、ブロック塀に変えた家が多かったようです。
ですが、ブロック塀が入ってきて約50年が経ち、
ブロック塀をつなぎとめていた内部の鉄筋が
長年の風圧と潮風によってむき出しとなって曲がってきたりしました。
それによって、サンゴの石垣のほうが耐久性にも優れているとの認識が広まったり、
やはり昔ながらの与路島の景観を戻そう!と、
その価値が見直され始めます。
▲与路集落の信川さんがサンゴの石垣について説明
そんな与路島ならではの伝統的景観を守ろうという機運が高まった矢先に、
2009年「島の宝100景」にも認定。
その後、「与路島サンゴ石垣等史跡環境保護組合」が設立され、
保存活動が軌道に乗りだしました。
朝日新聞文化財団や町・県などの補助を受け、
劣化した石垣の復元と技術を伝承しながら、
住民みなさんが保存活動に取り組んでいます。
与路島には約350ヶ所のサンゴの石垣があるとのこと。
サンゴの石垣景観整備事業の全体計画では、総延長874.2mにも及びます。
* *
【 与路島の石垣の基本的積み方など 】
「 瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第4号 『与路島ノート2 / 町健次郎』」より
・使用するサンゴは、すでに死んで白化して石になっているものを海から採集
・サンゴの石は平たいものが「ナバ石」。平たい形がナバ(島言葉で椎茸)のようであることから。
丸いものを「ガブ石」(魂を指す言葉)と呼ぶ。平たくて積みやすいナバ石を優先して拾っていた。
・サンゴ石の採集は6~10月ごろまで夏場の作業、集落総出の「ユイワク」(共同作業)。
・10年に一回ぐらいのペースで行なっていたが、昭和34年頃を最後にしなくなった(ブロック塀が入ったり、若者減少)
・土台には、大きな石・硬い石を置く。川や山にある「マイシ(真石)」を使うのが良いらしい。
・土台部の幅が3尺(90cm)であれば、積み上げた時の上部幅が2尺(60cm)になるようなイメージで、上に行くにしたがって徐々に狭く
・土台が決まれば、手頃な石を重なるように積み上げる。間には、少し大きめの石を重ねる。
この石と石を渡すような大きめの石を「トオシ(通し)」、「ワタシ(渡し)」、「ルク(貫 く)」という。
・隙間には細かい石片を入れていく。
これを「ワタ石(石垣を人に見立てると内蔵のようなものだか ら、との意味か)」という。
・石垣は隙間があると崩れやすいので、積んでからも外から石を打ち込んでいく。
この石垣は、イラストの積み方と近いでしょうか。土台は大きな石ですね。
こちらのお宅は、海からの風を防ぐため海側を高くして、横側はなだらかに低くなっています。
高く積むには、それだけ土台の幅を広くしなければならず、敷地も必要で作業も大変。
屋根が見える程度の高さにするお宅が多いようです。
石垣の耐久年数は、積む人の技術によって差が出るもの。
不慣れが人が積んだ時のエピソードにこんなものがあります。
「自分の畑周りを手伝いを呼んで石積みし、夕方には完成したので、
その場でお祝いをしようと宴会を始めていた。
ところが突然ガラガラガラッと、大きな音が響いて全部崩れてしまった」(!)。
* *
島の石垣積みは、長年引き継がれてきた先人たちの知恵。
技術の伝承を丁寧にしていくことが、
本当に必要ですね。
今が最後のチャンスかもしれません。
ところどころに立てかけられている”ハブの用心棒”。
ハブが出てきた時に叩いたり押さえつけたり。
そんな勇気・・・ありませんね。
一見無造作に積んでいるようですが、強固。素晴らしい。
歩いていると迷路に迷い込んだよう。
民宿も、サンゴの石垣に囲まれていてステキです。
もちろん昔ながらの島の家にはぴったり。
集落のかたが「与路島の道路やお墓などは、京都のように碁盤の目のように綺麗に整備されている。
これも先達のおかげです」とおっしゃっていました。
この清々しく美しい集落の景観は、なによりの誇りですよね。
途中、海岸からは無人島「ハミャ島」が見えます。
白砂からなる吹上浜が美しく、夏はキャンプや釣りで人気。ハブはいません。
たっぷりとサンゴの石垣を堪能した後は、
海岸と反対側のサガリバナの道にも案内していただきました。
夏の夜には、こんなふうに美しく咲きます。
7月中~下旬が見頃だそう。
与路島にある「へき地診療所」。
この敷地には、ノロ神が稲作儀礼の祭祀する場「アシャゲ」があったそう。
建物の横にある細い道は、神様が通る「カミミチ」です。
▲ちなみに看護師さんは常勤していますが、お医者さんは2週間に一度、月曜日に来島
かわいい消防車。
昭和29年8月、与路青年団により建立された日本復帰記念碑。
「へき地診療所」の隣にあり、左下は「カミミチ」。
ATMもあります! 与路郵便局。
与路小・中学校。小学生6名、中学生2名の計8名が通っています。
教員も、校長・教頭・養護の先生を入れて8名!
▲学校には面白いものがあったので、あらためて紹介します。
午前中は、与路集落をくまなく回って、公民館に戻りました。
夢中になって歩きまわってお腹ペコペコ。
集落のみなさんと、受講生のみんなで昼食です。
与路集落の中村さんの奥さまがお漬物やお菓子、お茶などを準備してくださって
楽しいひと時となりました。
これで、午前の部は終了です。
与路島のお話は、続きます。
< 参考文献 >
・「与路島誌」 屋崎 一
・「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第3号」 『与路島ノート1』 町健次郎
・「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第4号」 『与路島ノート2』 町健次郎
・「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町教育委員会
2013.01.17 瀬戸内町 与路島 与路
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内
与路島(よろじま)へ行ってきました。
今回も、瀬戸内町役場まちづくり観光課が主催する
「第4回 島案内人育成講座」に同行させていただきました(第3回の須子茂集落散策→こちら)。
瀬戸内町は、奄美大島部分と、大島海峡を間に挟んである加計呂麻島、
そして請島、与路島があります。
【 瀬戸内町の全体地図 】 こちらをご参照ください(瀬戸内町観光協会サイト) →http://www.kyurajima.com/sites/default/files/img/page/20110427_2.pdf
与路島は、奄美大島の古仁屋から海上35km、
町の「定期船せとなみ」だと、請島を経由し約1時間30分(直行便だと50分)。
この日、受講生は古仁屋から海上タクシー(貸切船)で直接与路島へ行く組と、
加計呂麻島の受講生と合流するために、いったん加計呂麻島を経由する組に分かれました。
冬は外洋が荒れ、夏は台風などで、
定期船せとなみは欠航になったり、抜港や条件付き運航になる日も多く、
そういった時は、加計呂麻島を経由して行く”中渡し”という方法で与路島へ行くこともできます。
中渡しでは、古仁屋港から加計呂麻島の瀬相港へ一旦渡り、
車で移動し伊子茂港へ。そして伊子茂港から与路港へ。
▲中渡し組は、伊子茂港で乗り換え
中渡しのルートは外洋を通るのに比べ穏やかなはずですが、
この日は波がけっこうあり、ちょっとスリリングな船旅に。
古仁屋から与路島までは、
加計呂麻島経由の中渡し組で約1時間、
外洋回り直接組(請島のジャナレ島回り)で約1時間20分でした。
与路島・請島のかたがたは、悪天候で船が欠航して家に戻れなかったり、
長く物資が入ってこなかったりと
海の状況に直接左右されるなか暮らしていることに、
同じ瀬戸内町ながら、本当に大変なことだろうと感じます。
与路島に着くと、この日案内してくださる区長の保島さんをはじめ、
信川さん、中村さんたちが出迎えてくださいました。
待合所には「いーおーちゃーどー」。
「よく、いらっしゃいました」の意味だそうです。
古仁屋ともまた違う言葉で、旅情をかきたてられますね。
まずは港のすぐそばの「クモディ(雲瀬)」へ。
大きな岩のそばに記念碑が建っていました。
かつてノロ神の祭祀であるオムケ(御迎え)・オーホリ(御送り)が
この岩の上で行われたという神聖なところ。
昔は、海の中にあり、ノロ舟のともづなを止めていたそう。
この場所で撮影された1962年の「オーホリ(御送り)」の写真が、
瀬戸内町立図書館・郷土館2階に展示されていますので、ぜひ一度ごらんください。
昔から子どもたちが乗って遊ぶことも禁じられていた聖なる岩、
なんですが・・ヤギがつながれていました。
そして、与路集落の中へ。
与路島は周囲18.4km、一島一集落。
現在、59世帯、人口102名。
大正から昭和30年頃までは1000人を越えていたこともあり、
なんと昭和25年には、222世帯1348名もの人口が!
現在の静かな様子からは想像もできませんが、古仁屋に次ぐ大きな集落だったこともあるそうです。
そして人々を惹きつけてやまない、
与路島ならではの美しい風景「サンゴの石垣」。
奄美群島の中でもこのサンゴの石垣が数多く残っている島で、
情緒があり、とても魅力ある景観。
国土交通省の次世代に引き継ぎたい島の景観として、
島の宝100景の「涼を呼ぶサンゴの石垣」として選ばれています。
▲この4尺(1m20cm)が基本の高さだそう
境界線としての役割、
そして台風などの強風を防ぐ一方、
夏は隙間から涼しい風も運んでくれるサンゴの石垣は、島の暮らしに合ったもの。
小さな島である与路島にとって、
サンゴは塀を作るための貴重な建築資材でした。
しかし、昭和30年代頃からブロック塀が島にも入ってきます。
”その当時”は、
・ブロック塀のほうが風に対する強度が強く、積み直したりする手間もない
・補修も必要がなく半永久的
・ブロックは幅が狭いので、宅地面積が増えてその分活用できる
・サンゴの石垣の隙間にはハブが住み着くがそれを未然に防げる
などと考えられ、ブロック塀に変えた家が多かったようです。
ですが、ブロック塀が入ってきて約50年が経ち、
ブロック塀をつなぎとめていた内部の鉄筋が
長年の風圧と潮風によってむき出しとなって曲がってきたりしました。
それによって、サンゴの石垣のほうが耐久性にも優れているとの認識が広まったり、
やはり昔ながらの与路島の景観を戻そう!と、
その価値が見直され始めます。
▲与路集落の信川さんがサンゴの石垣について説明
そんな与路島ならではの伝統的景観を守ろうという機運が高まった矢先に、
2009年「島の宝100景」にも認定。
その後、「与路島サンゴ石垣等史跡環境保護組合」が設立され、
保存活動が軌道に乗りだしました。
朝日新聞文化財団や町・県などの補助を受け、
劣化した石垣の復元と技術を伝承しながら、
住民みなさんが保存活動に取り組んでいます。
与路島には約350ヶ所のサンゴの石垣があるとのこと。
サンゴの石垣景観整備事業の全体計画では、総延長874.2mにも及びます。
* *
【 与路島の石垣の基本的積み方など 】
「 瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第4号 『与路島ノート2 / 町健次郎』」より
・使用するサンゴは、すでに死んで白化して石になっているものを海から採集
・サンゴの石は平たいものが「ナバ石」。平たい形がナバ(島言葉で椎茸)のようであることから。
丸いものを「ガブ石」(魂を指す言葉)と呼ぶ。平たくて積みやすいナバ石を優先して拾っていた。
・サンゴ石の採集は6~10月ごろまで夏場の作業、集落総出の「ユイワク」(共同作業)。
・10年に一回ぐらいのペースで行なっていたが、昭和34年頃を最後にしなくなった(ブロック塀が入ったり、若者減少)
・土台には、大きな石・硬い石を置く。川や山にある「マイシ(真石)」を使うのが良いらしい。
・土台部の幅が3尺(90cm)であれば、積み上げた時の上部幅が2尺(60cm)になるようなイメージで、上に行くにしたがって徐々に狭く
・土台が決まれば、手頃な石を重なるように積み上げる。間には、少し大きめの石を重ねる。
この石と石を渡すような大きめの石を「トオシ(通し)」、「ワタシ(渡し)」、「ルク(貫 く)」という。
・隙間には細かい石片を入れていく。
これを「ワタ石(石垣を人に見立てると内蔵のようなものだか ら、との意味か)」という。
・石垣は隙間があると崩れやすいので、積んでからも外から石を打ち込んでいく。
この石垣は、イラストの積み方と近いでしょうか。土台は大きな石ですね。
こちらのお宅は、海からの風を防ぐため海側を高くして、横側はなだらかに低くなっています。
高く積むには、それだけ土台の幅を広くしなければならず、敷地も必要で作業も大変。
屋根が見える程度の高さにするお宅が多いようです。
石垣の耐久年数は、積む人の技術によって差が出るもの。
不慣れが人が積んだ時のエピソードにこんなものがあります。
「自分の畑周りを手伝いを呼んで石積みし、夕方には完成したので、
その場でお祝いをしようと宴会を始めていた。
ところが突然ガラガラガラッと、大きな音が響いて全部崩れてしまった」(!)。
* *
島の石垣積みは、長年引き継がれてきた先人たちの知恵。
技術の伝承を丁寧にしていくことが、
本当に必要ですね。
今が最後のチャンスかもしれません。
ところどころに立てかけられている”ハブの用心棒”。
ハブが出てきた時に叩いたり押さえつけたり。
そんな勇気・・・ありませんね。
一見無造作に積んでいるようですが、強固。素晴らしい。
歩いていると迷路に迷い込んだよう。
民宿も、サンゴの石垣に囲まれていてステキです。
もちろん昔ながらの島の家にはぴったり。
集落のかたが「与路島の道路やお墓などは、京都のように碁盤の目のように綺麗に整備されている。
これも先達のおかげです」とおっしゃっていました。
この清々しく美しい集落の景観は、なによりの誇りですよね。
途中、海岸からは無人島「ハミャ島」が見えます。
白砂からなる吹上浜が美しく、夏はキャンプや釣りで人気。ハブはいません。
たっぷりとサンゴの石垣を堪能した後は、
海岸と反対側のサガリバナの道にも案内していただきました。
夏の夜には、こんなふうに美しく咲きます。
7月中~下旬が見頃だそう。
与路島にある「へき地診療所」。
この敷地には、ノロ神が稲作儀礼の祭祀する場「アシャゲ」があったそう。
建物の横にある細い道は、神様が通る「カミミチ」です。
▲ちなみに看護師さんは常勤していますが、お医者さんは2週間に一度、月曜日に来島
かわいい消防車。
昭和29年8月、与路青年団により建立された日本復帰記念碑。
「へき地診療所」の隣にあり、左下は「カミミチ」。
ATMもあります! 与路郵便局。
与路小・中学校。小学生6名、中学生2名の計8名が通っています。
教員も、校長・教頭・養護の先生を入れて8名!
▲学校には面白いものがあったので、あらためて紹介します。
午前中は、与路集落をくまなく回って、公民館に戻りました。
夢中になって歩きまわってお腹ペコペコ。
集落のみなさんと、受講生のみんなで昼食です。
与路集落の中村さんの奥さまがお漬物やお菓子、お茶などを準備してくださって
楽しいひと時となりました。
これで、午前の部は終了です。
与路島のお話は、続きます。
< 参考文献 >
・「与路島誌」 屋崎 一
・「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第3号」 『与路島ノート1』 町健次郎
・「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第4号」 『与路島ノート2』 町健次郎
・「瀬戸内町誌 民俗編」 瀬戸内町教育委員会
2013.01.17 瀬戸内町 与路島 与路
S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K
鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内
Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 19:36│Comments(2)
│与路島
この記事へのコメント
来月、しま博で与路島へ行く予定です(^^)
事前勉強にちょうどよかったです
たっぷりと楽しんできます!(^^)!j
事前勉強にちょうどよかったです
たっぷりと楽しんできます!(^^)!j
Posted by 北の由美子 at 2013年01月24日 09:39
北の由美子さまへ
シマ博で与路島ですか~。
一番最後の、公民館での写真の
立ってお話されている中村さんがご案内なさいます。
中村さんは、この島案内人育成講座を受講されてから、
シマ博での案内人をつとめていらっしゃいます!
あ、笠利つながりでご存知ですかね。
与路島散策、ぜひぜひ楽しんでくださいね!
シマ博で与路島ですか~。
一番最後の、公民館での写真の
立ってお話されている中村さんがご案内なさいます。
中村さんは、この島案内人育成講座を受講されてから、
シマ博での案内人をつとめていらっしゃいます!
あ、笠利つながりでご存知ですかね。
与路島散策、ぜひぜひ楽しんでくださいね!
Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 2013年01月24日 13:38
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