しーまブログ 旅行・観光瀬戸内町 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2012年12月27日

銭湯 嶽乃湯

瀬戸内町 古仁屋の、
細い川沿いにある「嶽乃湯(たけのゆ)」。

昭和18年創業、古仁屋に唯一残っている
昔ながらの銭湯です。

銭湯 嶽乃湯

ジェット風呂や子供用の浅い浴槽などもあり、
とくにサウナや水風呂は男性に親しまれています。

銭湯 嶽乃湯


常連さんが多く、
90歳を過ぎたおばあちゃんも
毎日歩いて通ってくるとか。

お話を聞いてた時も、
午後3時の早い時間からひっきりなしにお客さんが来ていました。

銭湯 嶽乃湯


番台を守っているのは、大正15年生まれの古谷さん。
昭和24年にお嫁に来てから、
ずっと嶽乃湯の歴史を見続けてきました。

昨年4月、長年連れ添ったご主人・昇さんを亡くされ(享年89歳)、
息子さんと営業を続けています。

自分の名前でなく、亡くなったご主人の名前を出してほしいとおっしゃるので、
便宜上&親しみを込めて”おばちゃん”と呼びますね。



番台に座り続けて、63年。
嶽之湯の顔であるおばちゃんは、昔話をいろいろと教えてくれます。

「終戦後は、軍の司令部が近くにあったから、兵隊さんがいっぱい入りに来てた」
「このへんは焼け野原で、疎開小屋がいっぱいあってねー」
「昭和33年の古仁屋の大火後には、昭和湯、千歳湯、朝日湯とウチの4軒銭湯があってね」
「昔は、建物を柿(こけら)板で作っていた時もあったよ」


銭湯 嶽乃湯


嶽乃湯は、昭和18年創業。

それまで満尾湯として営業されていましたが
当時の経営者が戦争とともに鹿児島本土へ引き揚げ、
亡くなった昇さんの父・武之介さんが買い取りました。

おばちゃんに嶽乃湯の名前の由来を聞くと、
「分からないけど、おじいちゃんが武之介だったからかもね~」と。


営業を始め2年経った昭和20年、
建物は空襲で一度目の焼失。

また昭和33年12月27日にあった古仁屋の大火では
市街地の90%が焼け野原になる大惨事に。
近くの市場から出火したため、嶽乃湯もふたたび全焼してしまいましたが
翌年すぐに立て直し。

そして平成5年、創業から3度目の建て直しを経て、
現在の姿となりました。


  * *


初めて嶽乃湯に来た時に、
ときめいてしまったのがレトロな木製の靴箱や脱衣ロッカー。

この木製の鍵なんか、たまらないですね。
銭湯 嶽乃湯

こちらは古仁屋の大火の後、
昭和34年に、昇さんが大阪まで行って注文し作らせたもの。

買い換えようと何度も思ったけど、
「お客さんたちが『絶対に古いままがいい』って言うから新しいのに替えられないのよ」と、おばちゃん。
私もそう思います。

磨いて大事にしているのがよく分かるツヤです。

銭湯 嶽乃湯

脱衣所も、昔懐かしい器具がそのまま(使えるかは?)。
常連さんも多く、マイ洗面器とおふろセットが並んでいます。

銭湯 嶽乃湯


佇まいが昭和の面影を残し懐かしいのはもちろん、
嶽乃湯の魅力は、山から引いた水を使い、薪でお湯を沸かしていること。

やっぱりお湯ざわりが柔らかくなるんでしょうか、
お客さんから「薪で沸かしてますか?」と聞かれることもあるそうです。

銭湯 嶽乃湯

創業当時は水道がなかったので、
近所の3軒くらい共同で山から水を引いて、
現在もその山水を使用。

そして、燃料の薪。

銭湯 嶽乃湯

終戦後から、平成5年ぐらいまでは古仁屋に製材所が3ヶ所あり、
亡くなった昇さんは、オートバイにリヤカーをつけて
おがくずや薪を集めていて、その姿は古仁屋の名物だったとか。
時には宇検村まで行くことも。

「年とったから止めてって言っても、聞かなかったねー」と、おばちゃん。
昇さんは、70歳ぐらいまでリヤカー引いて回ってたそうです。



昔はどこの銭湯も薪で沸かしていましたが、
時代とともに、薪の入手が難しくなってきたり、管理の大変さから
重油で沸かすところが増えてきました。
 

嶽乃湯の釜は、重油と薪を併用できるもの。

一時期は、重油だけを使っていましたが、
重油の価格が高騰したこともあり、
現在は、できるだけ薪で沸かしているそうです。

銭湯 嶽乃湯


もちろん燃焼具合をこまめに見たり、
木材を集めるのはとても大変な作業。

息子の守昇さんが温度を保つために、
30分に一度温度を見ながらこまめに薪を足しています。

昔ながらの「まちのつながり」で、今でもなんとか古材などを入手することができ、
薪で沸かすスタイルを続けています。

銭湯 嶽乃湯


「嶽乃湯に嫁いでからすぐに番台に上がったけど、
若いころ、大阪で阪急電車の出札口で券の販売をしていたから、
こういう仕事は慣れていたのよ。

この番台の中で、3人の子育ても、ぜ~んぶしてきた。

昔は年中無休だったし、寝る時間が2~3時間しかなくて、
キツくて逃げようと思ったこともあった。

本当に、ようがんばってきたと思います。

なにより話したり、お客さんと接するのが楽しいからね」。


戦後の混乱、米軍統治、
そして54年前の今日起こった古仁屋の大火など
さまざまな時代を乗り越え、
とにかく元気に毎日番台に座っているおばちゃん。

大晦日・元旦も、お客さんを待っています。

銭湯 嶽乃湯


年末年始の営業は、

大晦日 : 平常通り(13:00~21:00)、
元旦 : 朝7時~11時まで
2日、3日 :  お休み 
4日から  : 平常営業 


元旦は、一年の一番風呂を求めてお客さんがいらっしゃるため、
朝7時から11時まで営業。
「うちは、それからやっとお正月を迎えられるのよ」。


銭湯 嶽乃湯
▲”おばちゃん”。話をしていると、「これが1番よー」と、瓶入りの珈琲牛乳をごちそうしてくれました。
お風呂上りじゃなかったけど、とっても美味しかった!



暖かい奄美では、ついついシャワーで済ませがち。
でもさすがに年の瀬も押し迫ってくると寒さを感じますね。

たまには、ひろーい湯船に浸かって、
手足を伸ばしてリラックス。
薪で焚いた軟らかいお湯で、心も体も温まりませんか。

一年のさまざまなものを年末にきれいさっぱり洗い流すもよし、
元旦に、新年の一番風呂を迎えるのもいいですね。





【 嶽乃湯 】

瀬戸内町古仁屋松江12

営業 / 午後13:00~21:00
休み / 月2回 (第1・3日曜日)



銭湯 嶽乃湯




2012.12.20

瀬戸内町 古仁屋 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内








同じカテゴリー(奄美大島)の記事画像
58号線
油井の稲作 種もみまき
消防 救急艇「おおとり」
噂(!?)の古志ダイコン
久根津、捕鯨時代の思い出
古仁屋豊年祭・敬老会 
同じカテゴリー(奄美大島)の記事
 瀬戸内町内の戦争遺跡を観光する皆様へ (2018-05-17 14:06)
 58号線 (2013-06-06 08:30)
 油井の稲作 種もみまき (2013-03-01 14:04)
 消防 救急艇「おおとり」 (2013-01-30 14:09)
 噂(!?)の古志ダイコン (2013-01-19 11:50)
 久根津、捕鯨時代の思い出 (2012-12-20 17:18)

Posted by ヒギャジマン プロジェクト at 16:28│Comments(0)奄美大島
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
銭湯 嶽乃湯
    コメント(0)