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2013年06月17日

油井の田んぼ くさとり編


2月26日(火)に、油井集落の田んぼで「種もみまき」がありました。

あれから、80日後の 平成25年6月14日(金)

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田植え からは、2か月弱。
こんなに大きくなるんですね。

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もう、苗とは呼べません。

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梅雨時期の綺麗で豊富な水が、

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稲の間を流れていきます。

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風になびく、葉も涼しげです。

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そこへ、内田区長が不思議な道具を持って登場!

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これは、いったい何の道具なんでしょう?

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何やら、鉄の歯がたくさんついています。

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「では、使ってみましょうね!」
というなり、内田さんは不思議な道具を持って田んぼの中へ。

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不思議な道具を押しながら、前後に動かしていきます。

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↑↑ 動画は、写真をクリック ↑↑









歯が回転していますね。

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押す時よりも、

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引く時のほうが、激しい水しぶきが上がります。

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これは、田んぼの草取り専用の道具とのこと。
二重の歯で、稲の間の草をかき取ります。 

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幅も、ちょうど稲と稲の間にぴったり!!

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「苗が伸びるたび、こまめに草取りしないと、大きく育たないんですよ」

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「稲と稲の間の草を取って、根元を広げてあげると、たくさん茎が出て豊作になるからね」
と言いながら、どんどん進めていきます。

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私も少し、この道具を動かしてみましたが、思っていた以上に重かったです。

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内田さんは小学生の頃からこの作業をしていたそうです。
子供にはかなりの重労働だったでしょうね(大人でも大変ですから!)。








「皆が食べるもち米だから、農薬はできるだけ使わないようにしている」
これが、草取りをこまめにしているもう一つの理由です。


「だから、虫にけっこう葉が食べられててね~」

そうなんですか?
といいつつ、葉の間をよ~く見ると、

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バッタに








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こおろぎ?







田んぼの中で何かを探す 内田さん。

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「いたいた!この虫(ウンカの蛹)はすぐに退治しないと、稲の茎まで食べてしまうから大変なんだよ!」
稲穂も重要ですが、茎(藁)は、油井の豊年祭に欠かせません。

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もう、稲穂がちらほら顔をのぞかせています。

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茎からゆっくり出てきて

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やがて、花が咲きます。
小さい稲の花。
ですが、古くから人々の生活を支えてきた花です。

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「田んぼの肥やしは、人の足型って言うからね」
そう話しながら、田んぼを見つめる内田さん。

それに答えるかのように、稲は元気に育っています。

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さて、今回のお墓コーナー

旧暦のゴガツゴンチも、通常のお墓詣りとは別にお墓詣りをします。

ゴガツゴンチは、菖蒲(しょうぶ)を差します。
桃の葉も供えることがあるそうです。

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今回、取材させていただいたのは、ゴガツゴンチの次の日。

油井集落(須佐礼)の川には、小さなこいのぼりが元気に泳いでいました!

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いつか、鯉が龍になるように

小さな籾が、やがて黄金色の穂に。

その日は、もうすぐです。








2013.6.14 瀬戸内町 油井 須佐礼

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 隊長鼎

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内
  

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2013年04月19日

油井の稲作 苗代編

2月26日(火)に、油井集落の田んぼで「種もみまき」がありましたが、

あれから約50日が経ち、そろそろ田植えの時期を迎えます。
あの時、まいた種もみがどうなっているのか、見に行ってきました。

ここ、油井集落の田んぼでは、「もち米」を育てています。
油井 こども餅つき大会」での餅つき用であり、
県指定無形民俗文化財「油井の豊年踊り」の時には、
もち米は赤飯に、藁は綱を作るために使われています。



お!!!
集落の細い道を曲がると、見えてきました!
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子どもたちがまいた種もみは、すくすく育っていました!





田んぼには水がはってあり、小さなオタマジャクシもたくさん泳いでいます。
おたまじゃくし
「ビオトープ」という言葉がまだない頃、田んぼは小さな生き物たちの住処でした。
水に集まる生き物たちは、自然が豊かである証です。





若苗色の葉先が、黄金色にも見える苗。
130414須佐礼 田2
子どもたちの思いが結晶となり、、キラキラと葉先を輝かせているのかもしれません。



案内してくださった、油井集落の内田区長が

「油井の豊年踊りのために稲作をやるのではなくて、稲作があってこその油井の豊年踊りなんです。」

と、おっしゃっていたのが印象的でした。



シマの集落行事の多くは、作物の豊作を神様に祈り、そして感謝するもの。


稲作を行っている集落も、少なくなってしまった現在、
小さいながらも稲作を営んでいる油井集落(須佐礼地区)は、自前で集落行事を行える数少ない集落です。




今週の4月21日(日)、油井集落(須佐礼地区)のこの田んぼでは、
「油井集落・子ども会」と「油井小中学校」の恒例行事として、田植えが行われます。


隊長鼎、田植えの様子を見に行ってきます!!
(今から楽しみです)





追伸:油井集落(須佐礼地区)にて
青磁
またもや、磁器を発見!今度は、「青磁」。
ここの所、磁器についてる時期のようです…  おそまつ!



2013.4.14 瀬戸内町 油井 須佐礼

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 隊長鼎

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


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2013年03月30日

芭蕉の糸づくり

南の島らしく、
奄美でいたるところで見かけるバナナ(芭蕉)の木。

これには、食べられるバナナの実がつく「実芭蕉」と、
糸がとれる「糸芭蕉」があると知った時には驚きました。

その糸芭蕉の幹からとった繊維で
糸をつむいで織る芭蕉布。

軽くて通気性がよく肌触りがさらっとしている芭蕉布の着物は、
バシャギン(芭蕉衣)と呼ばれ、
高温多湿な奄美や沖縄の島々の暮らしに適していて
長いあいだ人々に愛用されていました。

そんな芭蕉布のできるまでの一端「芭蕉の糸づくり」を
加計呂麻島の諸鈍(しょどん)で記録してきました。



バシャギンは庶民の普段着として、また上質のものは役人が着用。
邪を払うとして、ノロ神の衣装にもなっていました。

そして薩摩藩への献上品、交易品としての役割も。

芭蕉が着物になるまでの工程を詠んだ
「バシャナガレ」というユタ神の呪詞もあります。

いつごろからバシャギンが着られていたのかははっきりしないようですが、
幕末の奄美を描いた名越左源太の「南島雑話」でも、
島中の人々がバシャギンを着ていて、婦人が手作りに大変苦労していると
芭蕉布の織り方の工程が図入りで詳しく描かれています。


大正頃までは、バシャギンの着用度が木綿と匹敵するぐらいだったよう。
しかし、洋服が普及してくると
手間のかかるバシャギンはほとんど作られなくなってしまいました。

途絶えつつあるこの貴重な伝統技術を再生しようと、
奄美大島では、少しずつ取り組む人々が出てきています。


体験した「芭蕉の糸づくり」のおおまかな手順です。

① 苧剥ぎ ( ウーハギ )  芭蕉の木を切り倒して、皮を剥いでいく

② 苧炊き ( ウーダキ )   剥いだ皮を灰汁で煮る

③ 苧挽き ( ウービキ )  皮から不純物を除き、繊維を取り出す

④ 苧績み ( ウーウミ )  繊維を細く裂き、結びつないで1本の糸に



今回は、糸芭蕉を山から切り出すところから始まりました。


 *  *


① 苧剥ぎ (ウーハギ)

いざ、ジャングルのような山へ。



苧倒し(ウーダオシ)。
糸芭蕉は3年ぐらい経って、成熟したものが刈り取りの時期。
苧倒し


ウーダオシには、11~2月がいい季節。
3月だとちょっと遅いそうです。

夏の間は葉を落としたり、
背丈の伸びた幹の上部を切り落として太さを均一にする「芯止め」という手入れをします。


余談ですが、
奄美では昔から美人でない年頃の娘を「バシャヤマ(芭蕉山)」と表現します。
持参金代わりに、芭蕉の山を特別に付けて嫁に出さないと貰い手がないほどの器量・・だそう。


糸芭蕉にも、かわいらしい花と小さな実がついていました。
種が大きいですね。この実は、ふつうは食べません。



切った幹の外側硬い部分の皮を剥ぎとります。





口割い (くちわい) 


根のほうを上にし
巾1.5cmぐらいにナイフで薄く切込みを入れ、
1枚ずつ下の方まで皮をきれいに剥ぎとっていきます。


幹は輪層をなしています。
外側から繊維の質順に3種類に分けていきました。

外側の繊維が粗く、内に向かうにつれて細かい繊維がとれるので、それぞれ用途も変わります。 
講師の利津子さんはこんなふうに使い分けているそうです。
一番外 3番 ・・ 繊維が荒いのでテーブルセンターやタペストリー
      2番 ・・ 帯など
      1番 ・・ 繊維が細くキレイなので着物に



幹の本当に中心部分は、スポンジみたいなので糸は取りませんが、
天ぷらにしたり、湯がいたりして食べられます。
あとで試食するとのことで楽しみ!



すぅっーっと、下まで一気にきれいに剥ぎとれた時は、気持ちいい!



ちゃんと根のほうが分かるように束ねておきます。
手前から1番、2番、3番。皮の色や粗さがが違うのがよく分かります。







② 苧炊き (ウーダキ) 

ウーハギした皮を灰汁で煮て、繊維を柔らかくしていきます。


鍋の底に細い紐を2本敷いておくと、ひっくり返す時に便利とのこと。
利津子さんは、自家製の灰汁を持ってきていました。
ペーハーも調整しておかないと、繊維の風合いに影響がでるそうです。



山から戻って、諸鈍のデイゴ並木のはしっこで作業。
繊維の種類別に、3つの大鍋を使って煮ていきます。



約1時間ほど炊いているので、
待っている間に糸芭蕉の真ん中の部分を天ぷらに。



揚げたては、シャクシャク感が蓮根のようで美味しかったです!
誰かが醤油やみりんで作ったタレをかけてましたね~。



ぐつぐつぐつぐつ。だいぶ柔らかくなってきたようです。
煮え過ぎると糸が切れてしまうそうなので、見極めが肝心。



頃合いを見計らって、紐を使って引きあげます。
この後は、灰汁を落とすため水洗い。




③ 苧挽き (ウービキ) 

煮た皮の不純物を取り除いて、繊維を取り出します。


根のほうを片手で持ち、竹のハサミで不純物をシュッと一気にしごきます。
ここで引っかかりながらやると、それが糸に残ってしまうんですよね。

▲講師の佐藤利津子さん。加計呂麻島に住んで5年目。


自家製酵母の石窯焼きパン「工房 楽流(らくる)」をご夫婦で営みながら、
利津子さんは、「手織屋 楽流」として、いろいろな繊維で織り物を生みだしています。

ショールやストール、帯、着物などを制作。年に1回ほど島外で個展も開催。



こんなふうにニュルニュルした不純物が。
これは紙の原料にもなるそう。芭蕉のはがき作りも楽しそうですね。



不純物を取ったものは、干していきます。
天気がよくって作業もなごやか。



乾くとこんな感じ。だんだん繊維らしくなってきました。
ただ乾燥しすぎると切れてしまうそう。
湿度が高い奄美にはやはり適しているんですね。




④ 苧績み (ウーウミ) 

用途に応じて繊維を細く裂き、つないで1本の糸にしていきます。


乾燥させた繊維は、ドーナツ型の「チング巻き」にし保存。
つなぐ時には水に浸してから始めます。



利津子さんがまずは糸のつなぎかたの見本を。



糸の紡ぎ方は、「はた結び」と「撚(よ)りでつなぐ」ふたつの方法があります。



繊維を1本の糸にしてつないでいくのは、本当に地道な作業。
芭蕉布の工程でも一番時間のかかる手仕事です。


利津子さんの手先を何度も何度も見ながら、みなさん挑戦。



1mちょっとの繊維をつないでつないで、1本の糸へ。
着物一反を作るには、
約200~300本の糸芭蕉が必要とも言われています。
いったい何回糸をはた結びをすればいいのでしょうか。






この日は、加計呂麻島に住むかたたちが集まりました。
昔はこうやって、みんなでおしゃべりしながら作業していたんでしょうかねー。



いつもは瀬相港にいる移動販売の珈琲屋「なますて茶屋」さんも
諸鈍デイゴ並木に出張。
集中して作業する合間のコーヒーブレイクは格別!



この日は約1時間ぐらいの苧績み(ウーウミ)。
自分でここまでできた達成感で晴れ晴れです。



切り倒した糸芭蕉をこのぐらいの糸にすることができました。
ミサンガとか作れるでしょうか!? たぶん足りないでしょうね・・。



芭蕉布を作るには、糸にしたあとも
再び煮たり、染めたり、機織りとさまざまな工程があります。

気の遠くなるような作業を経てできる芭蕉布。
そのほんの一部ですが、
体験することで「昔の人は、すごい」という言葉がしみじみ出てきました。




とても楽しそうに、やわらかい笑顔で作業する利津子さん。
芭蕉や織物を愛おしく思う気持ちが、よく伝わってきました。

芭蕉を素材として織り物をするのは島に住んでから。

「せっかく芭蕉のある島に来たので、島にある素材を活かしていきたい。
とても手間のかかるものだけど、きらきらしてとても綺麗。
少しずつでも関わっていきたいです」。

お隣にはご主人のノブさん。パンを焼き、絵を描きます




島の自然の恵みをたっぷりと浴びて育った糸芭蕉。
そこから生まれる芭蕉布は、島の風土に合った着物です。

芭蕉布のワンピースで夏の奄美を過ごせたら、
涼やかでとても心地いいだろうなーと想像がふくらみます。


興味を持つ人が増えれば
このようなワークショップで技術が広まり、
奄美でふたたび芭蕉布がよみがえるかもしれません。

先人たちの知恵、
島ならではのものが、少しでも残っていきますように。






<参考文献>
・「 奄美文化誌 南島の歴史と民俗 」   長澤和俊 編
・「 南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美 」   南日本新聞社
・「 南島の伝統的なくらし 」   芳賀日出男

  


2013.3.14 瀬戸内町 加計呂麻島 諸鈍 

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 広報K

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内



  


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2013年02月08日

伝統的な潮干狩り「イザリ」

奄美以南の南西諸島では、イザリという伝統的な潮干狩りが行われています。

今年も数回ですが、
年末からこのイザリを調査してきました。

そこで、2011年に「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第6号」(※1)に
投稿した報告と合わせて、紹介したいと思います。




イザリは、潮干狩りといっても、行くのははなんと真冬の真夜中です!

1月とか2月なので、本州では氷点下になっている頃ですが、
奄美では夜でも8~10℃ぐらいなので、わりと普通に海に出られます。
ただ、北風がきつく吹くとさすがに寒い時もありますね。

さてイザリに行く時間ですが、大潮の一番潮の引く時間の前後です。

奄美では大潮の頃、
一番潮が引く時間が夜中の12時から2時頃。

一番潮が引く日は、なんと潮位がマイナス数十センチにもなります。


遠浅の浜へ行くと、普段は海の場所が、
ずーっと沖まで陸になっているいるのですごい不思議な感じがします。



干潮で取り残されたマンジュウヒトデ(これは食べません)


イザリはこの潮に合わせて行くので、
終わってから片付けが終わるのは午前3時とか4時になることも。

次の日が仕事でも、
イザリをする人は「もっとしたい、けど明日仕事だし・・、あっそろそろ潮も上がりはじめたかな・・」
といったように心のなかで葛藤しつつも、楽しみながらされているようですね。


もちろん真夜中の海の上なので、まわりは真っ暗。

満月ならまわりが見えるのですが、
新月の時は本当に真っ暗で、星や遠くの集落の光しか見えません。

私が調査で初めて同行したとき、
その星の綺麗さと、真夜中の海の上に立っている不思議な感覚に感動しました。

それと同時に、ちょっと説明しにくいのですが、
異界?がそばにあるのでは?とちょっと怖い感じがありました。

最近はイザリをせず写真を撮るだけのことが多いのですが、
それでも何か非日常を感じて、怖いながらもドキドキすることがありますね。


ちなみに宇検で聞いた小ネタです。

5人でイザリに行ったのに、
朝まで周辺に見えるライトが5つあった(本人を引いたら4つのはず)とかいう話も聞きました。
見られた方はケンムン?とおっしゃっていましが一体なんだったのでしょうか・・・。





真っ暗なので、獲物を探すのにライトを使います。

現在では大半の方が付け替え式ガスランプを使っていますが、
一昔前まではカーバイトランプ、さらにその前はたいまつや松やに、
ススキなどを燃やしてて明かりにしていたという記録もあります。

ススキってすぐに燃え尽きて、長時間使えないような気がするのですが・・・。
近年では新しい光源のLEDライトも少し増えてきたような感じですね。




道具といえば、イザリをする人の多くは使う道具を自作しています。

これもイザリのひとつの楽しみになっています。
例えば、これまで多くの人は竹製のテルを使ってきましたが、

近年ではプラスチックのカゴやナイロンのリュックなど、
様々な物を自分なりに加工した入れ物を利用しています。

また、貝をひろう道具にしても、いろんな道具を考えられ応用されていました。
中には親が作った技術を受け継いでいる人もいらっしゃいますね。




対象となる海産物は、貝類やタコがメイン。
瀬戸内町では大島海峡があり、あちこちに遠浅の干潟が多くみられます。
この干潟を中心にイザリが行われます。

また笠利によくみられる珊瑚礁のリーフでもイザリが行われています。

とる場所によって種類もかわり、中にはこれ食べられるの?みたいな種類もありました。
とる人によって好みが分かれるようですね。

ニギャブトゥ(レイシガイの仲間)やミソブトゥ(イモガイの仲間)といったように、
味がそのまま貝の方言名になっているのもあり、食に直結してて面白いですね。

とった海産物は、どんなに遅くても、すぐに茹でてからみんなで食べられる家もありました。


▲真夜中に調理されるスガリ(ウデナガカクレダコ)

ここでは食べるだけではなく、貝がこれだけとれたとか、
大きな獲物を逃したとか、今年はあまり見つからないなどその日あった話や、
昔話しも混じり、楽しそうに話していました。

また現在ではあまり見られませんが、
集落によっては浜で焚き火をして、イザリした人達で深夜の交流会をしていたそうですね。
こうやって普段とは違った人と人とのつながりもあったんでしょうね。



   
このように行われているイザリという行事ですが、
簡単に現在のイザリ状況をまとめると、

・イザリは主に漁師さんではない一般の町民が、冬の夜に自然に流れにしたがって期間限定でやっている。
・イザリをすることで準備する楽しみ、とる楽しみ、歩く楽しみ、食べる楽しみが生まれる。
・活動を通じて人と人との交流がある。

といったところでしょうか。

根拠はありませんが、
イザリは火などの明かりさえあればできるので、
島に人々が住みだしてから何千年も繰り返し行われてきたのではないでしょうか。

縄文時代の遺跡からも同じような種類の貝殻が出てきています。
もしかしたら昔の人もこうよう採取を通じて、
自然に対して畏敬の念を抱いていたのかもしれませんね。


大昔から続いてきたであろうこのイザリ、
今後も海の資源がなくならないようにを気をつけながら、
島の暮らしの一部として続いていってほしいですね。



現場監督 水野


< 参考文献など >
・恵原義盛 1973『奄美生活誌』西日本新聞社

・引用 「瀬戸内町立図書館・郷土館 紀要 第6号 2011」

(※1)紀要は、瀬戸内町立図書館・郷土館で購入できます。郵送も可能なので詳細はお問合せください。
 
瀬戸内町立図書館・郷土館 0997-72-3799

 






2013.01.11 瀬戸内町 某所

S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内
  


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2012年11月09日

管鈍 クガツクンチのミキ作り

旧暦の九月九日(クガツクンチ)は、諸鈍シバヤをはじめ、
実久三次郎祭り、各地の権現祭など集落によってさまざまな伝統的行事が行なわれています。

「瀬戸内町誌 民俗編」によると、
旧九月九日はミキを作り、
村の神山や神社にて、火ノ神や健康への祈願をし、
集落よっては、八月踊りの踊り納めが行なわれたりしていたと書いてあります。

さて今回は、瀬戸内町の西側にある、
管鈍(くだどん)集落でミキ作りを記録させていただきました。

旧九月九日(新暦10月23日)の前日の朝8時、
公民館にまず集合です。

男性は区長だけで、主に婦人による作業です。
区長は山からミキのフタにする芭蕉の葉を採られてきてました。

芭蕉(ばしょう)はバナナに近い仲間で、奄美では山のあちこちに生えています。
バナナと同じような実をつけますが、種が多くあまり食べられません。
葉が広く柔軟性があるのでおにぎりの敷物などにも使われたりします。




公民館の中では、ミキ作りが始まっていました。
台所では、ミキに入れるサツマイモの皮を綺麗にむき、おろし金ですり下ろしています。




一方では大きな鍋に、米粉と水を入れて炊いています。




米粉は、古仁屋の製粉屋に米を持って行ってお願いして作ったものです。

炊いている間、婦人の方々が交代で混ぜ続けます。
そうすると、30分ほどで粘り気が出て、
最後は白いカスタードクリームのようになりました。




あとは冷ましてからイモを入れるので、
一旦、芭蕉の葉でふたをして休憩です。




休憩中、集落を散策していると、可愛い犬が。
遠くから尻尾を振って、耳を垂らして遊んで!と訴えてきたので、
ちょっと遊んできました。のどかでいいですねー。




さて午後になり、4時間ほどたって冷めた鍋に、
生のサツマイモのすりおろしたのを混ぜます。
少しずついれ、丁寧に、全体に回るように混ぜていきます。


綺麗に混ざったら、最後はミキ用の壺に入れて完成です。


壺は芭蕉の葉3枚をかぶせ綺麗にふさぎ、準備したワラできっちりと止めます。
ここで隙間があると寝かせてる間に虫が入って大変だとか。
 

大きい壺は本体でミキの原料を入れ、
小さい壺には鍋に残った僅かなミキを水で薄めて入れました。
壺を開いた時、本体のミキがさらさらになっていない場合、
小さい壺の水で薄めるためのものだそうです。


さて完成したミキを、管鈍集落の山手にある巌島神社に持っていきます。




ミキはそのまま巌島神社で寝かせます。
神前に置き、現在神社を管理している神様(島のお祓いやお祈りをする人)がお祈りして、
仕込みはすべて終了です。




さて翌朝、とうとう 「 ミキ開き 」 です。
まずお祈りしてから、フタである芭蕉の葉を取ります。






壺の中では、ミキができあがっていました!




前日にはクリーム状だったのに、
すでに発酵が進み、米とイモだけですが、
甘みもあり、本当においしくできあがっていました!

発酵のチカラってすごいですね。

外はあいにくの悪天候だったので、
最後にミキを公民館に下ろして、神社までこられない人へ配りすべて終了です。


旧九月九日は、生活の面で見ると、
三月三日、五月五日と並んで
単衣(裏の貼っていない着物)から衣替えする時期でもあったようです(「瀬戸内町誌」より)。

自然の変化を旧暦になぞり、
生活に取り込む昔の人の生活の知恵ですね。

今は基本的に新暦で動いてますが、
昔の人は旧暦と季節のつながりをいろいろと知り、
自然の流れや変化に逆らわずに生活していたんですね。

島では今でも、「まだ~月なのに今年は寒い」と言うと、
「もう旧暦の~月だからね」というふうに、
意識の中では旧暦が残ってらっしゃる方も結構いらっしゃいます。

いろいろと進歩して変わっていきますが、
こういった環境に密着した自然とのつながりや利用は、
変化しながらでも残っていってほしいですね。



現場監督 水野



2012.10.22・23  (旧暦9月8・9日 クガツクンチ)
瀬戸内町 管鈍


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会)

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内





  


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2012年10月27日

奄美の伝統民具 テル(竹の入れ物)作り 動画

瀬戸内町 文化遺産活用実行委員会では、
貴重な文化遺産を写真だけでなく、
動画で残していこうという事業もおこなっています。

今回は、2012年の3月に撮影された
テル作りをダイジェスト版にしましたので、ご覧ください。

教えてくださったのは、民具工芸作家の永田明正さん。
7月には、図書館・郷土館のイベントでテルづくりの講師をしてくださいました。

テルとは、畑で芋を入れて運搬したり、
海でとった魚を入れておく竹製のカゴのことです。

大きさによって呼び方も変わり、
ここでは、野菜入れに使う大きな50斤(30kg)はいる入れ物をテル、
魚用の小型の入れ物をイベラクと呼ぶこともあるようです。
本土はではビク(魚籠)といったところでしょうか。






テルを作る過程は以下のとおりです。

●竹の採取

作るものにあった竹を選んでいきます。

同じ種類の竹でも使いやすいものと使いにくいものがあるとのこと。
さらに使う竹の種類によって新竹から数年ものまで変えるようです。



●竹を割る 

竹を十字に木を組んだ道具で4つに割ります。

その後、さらに3つから4つに割って四角い細い竹の棒を作ります。



●竹を割いて竹ひごを作る

青い外側と白い内側をナタを入れて分けていきます。

内側にある竹の節は先に落として平らにしていました。
私も割かせてもらいましたが、全く厚さが均等にならず・・・。

見てると何気なく割いていくのですが、ほんとうにすごい技術ですね。

ちなみに竹ひごは、当日でないとが乾燥して曲げられなくなるので、
テルを作りながら足りない分を作っていきます。



●底を組む

外側と内側を一組として、底と側面の縦になる竹をひいていきます。

色が綺麗になるように中心側を白、外側を緑に。
テルイベラクによってサイズが違うので、底に置く本数が変わります(動画はイベラク)。
縦と横に同じ数だけ十字にして重ねていきます。



●脚を作る

底の縁から脚になる竹ひごを入れていきます。

半周行くともう一本竹ひごを入れます。それで2本にして縦の竹ひごを挟むよう入れていきます。
脚の立ち上げが全行程の中でも大変なところです。
ちょっと無理やりやっているようにみえますが、
竹は割れない絶妙な力加減です。



●側面の立ち上げ

脚ができると、あとは側面を淡々と作っていきます。



●腰に当たる曲線を作る

側面がある程度立ち上がると、
背中に担いだ時に腰に当たる曲線をつくります。

この曲線が感動するほど美しいですよ。



●縁を作る

本体の最後は、入り口の縁を曲げて止めていきます。
ひごを折りたたみながら綺麗に入れていきますね。



●足の強化

脚は形づくられていますが、
このままだと擦り切れたりするので、竹とヒモで補強します。

これは交換できるので、摩耗してきたらこの部分だけ作り変えることができます。
ものを大事にする昔の人の知恵ですね。



●耳の作成

担ぐためのヒモを通すみみを作ります。



●縁の強化

最後に縁もばらけないように、ヒモを巻いて強化します。




これで完成!

永田さんが実際に作られた時間は4時間程度です。
淡々と作りどんどんできていきました。
ここで使用した道具はほとんどが永田さんの手作りです。

テルは瀬戸内町立郷土館に現物があるので、機会があれば見に来てください。
また、集落によっては、普通に使われている方々もいらっしゃいますので、
奄美のかたは自分の住んでいる集落で見ていただければと思います。

最後に
動画を見て作ってみたいと思っても、
なかなか作れるものではなさそうです。

私も少し体験でしましたが、最初の竹ひごすら作れませんでした・・・。

永田さんにはテル作り教室をしてもらうようにお願いしてあります。

またできる日が決まりましたらアップしますのでぜひご参加くださいね。







2012.03
瀬戸内町


S.B.I (瀬戸内町 文化遺産 活用実行委員会) 現場監督M

鹿児島県 奄美大島 瀬戸内町立図書館・郷土館内


  


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2012年07月28日

民具ティルづくり

瀬戸内町立図書館・郷土館で開催された「ゆめ探検隊」の第2回目、
「自然をいかした道具をつくってみよう!」。

子どもたちはエコクラフトテープで簡単民具づくり。

大人は、小さな竹かごティルづくりに挑戦です。
※ティル、テルなど言い方・表記があります。





講師は瀬戸内町古仁屋在住の
民具工芸作家の永田明正さん。


永田さんは小学生の時から父親に教えてもらい民具づくりを始め、
近年は、実用的な民具だけでなく、おみやげ品も製作。

島の素材を活用し、竹だけでなく、
熊笹を利用した笠など多くの民具づくりをてがけてるそうです。



永田さんは、なんと81歳!
ふだんから竹の切り出しや手先を使ってるからか、
引き締まって若々しい体躯にビックリです。


まずは竹の割り方から。
大型のティルは真竹を使うそうですが、この小さなティルは金竹を使用。
乾燥しやすいので、編むその日に割ったりするのがいいそうです。


竹の割り方も練習しました。



永田さんが割ると、すっー、すっーと同じ太さのものができるのですが、
これがまず難しいんですね。



材料が準備できたら、
底の部分から編んでいきます。
参加者のみなさんが熱心に質問。



足も上手に使って、神経は手先に集中。



底の部分の立体化。



「ほほぉー」。



側面を少しずつ編んでいきます。



みんなで確認しながら。



織物をしていらっしゃるこちらの参加者。
編み方がさすがに美しく、早い!



口の部分となるところに輪を作りはめこんで、
そこを目印にまた編んでいきます。



永田さん、なにやら別のものを作りはじめました。



ブフォ笠の骨組みです。






この日は骨組みまで作り上げました。
張るダンチクの葉は、ブフォ笠に適した硬さなどがあり、
葉を取る時期が決まっているそうです。
自然に沿ってつくられているものなんですね。




永田さんが作ったブフォ笠の完成品です。

ダンチクの葉の張り方も芸術的。
手前が女性用、奥が男性用。
丸みの違いが、それぞれ”らしさ”をあらわしていますね。



さて、いよいよティルの仕上げです。
しゅっ、しゅっ、しゅっ、リズムよく編んでいく様子は、
見ていて惚れ惚れします。









「はい、できたよー」。



最後に底にバッテン状に竹を入れて補強です。



女性の体のようになだらかな曲線を描いてます。
この微妙な加減は、まさに職人の技。

背負った時や腰につけた時に
人間の体にぴったりと合うようになっています。



底の部分です。
荷物が入ってもすってやぶれないように、
ちゃんと四隅に足ができているので自立します。



中をのぞくと、こんな感じです。



ティルは、奄美の暮らしに密着した民具。

150年ほど前に書かれた奄美の民俗誌「南島雑話」(著者:名越左源太)にも
このティルで芋やソテツ、海藻などが
運ばれている様子が描かれています。

島の自然環境や自分たちの生活様式に合わせ道具が生み出され、
改良が重ねられて長い間伝わってきました。





現在は、永田さんのように
竹の切り出しから製作までできるかたは少なくなってきています。

この手技を絶やさずに
次世代に残していきたいものですね。


今後、S.B.I (瀬戸内町文化遺産活用実行委員会)で
ティルづくりのワークショップなども開けたらと考えております。
その際は、ぜひご参加ください。





2012.07.24
瀬戸内町 古仁屋



S.B.I (瀬戸内町文化遺産活用実行委員会)



  


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